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明府真影流 手裏剣術 青森講習会
<本格的な手裏剣術を、基礎から伝授します>
- 開催日:平成29年 2月26日(日)
- 開催時間:午後1時~午後4時
- 会場:みちぎんドリームスタジアム(青森市スポーツ会館)
青森市合浦1丁目13番1号 ℡017-765-6200 屋内グラウンドにて開催
- 講師:明府真影流手裏剣術 二代宗家 大塚 保之 先生
明府真影流(めいふしんかげりゅう)は、故・染谷親俊先生を初代宗家とする、新進の武道流派です。初代宗家は、戦前「香取神道流」を学ばれましたが、神道流のあまたの武技の中から、特に手裏剣術を抽出して、さらに工夫と改良を加え「明府真影流」を創始しました。現在、二代大塚宗家によって、流儀が継承されています。大阪など日本国内だけでなく、海外にも多くの支部や稽古会があります。
- 武術経験は問いません。どなたでも参加できます。
- 参加費:一人1500円 当日会場にてお支払いください。
- 参加受付:メールもしくはファックスにてお申し込みください。
電子メール mukky0715@gmail.com
ファックス017-771-4313
「お名前(ふりがなも)」「住所」「当日連絡が取れる電話番号」を
明記してください。
- 持ってきていただくもの:
・運動靴、地下足袋など動きやすく汚れてもよい履き物(会場の下は土のため)
・動きやすい服装
※手裏剣、的はこちらで用意いたします。
- 問い合わせ 北向敏幸(きたむき としゆき)
電子メール mukky0715@gmail.com
もしくは、ファックス017-771-4313まで
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〇定例稽古のお誘い
旧弘前藩で伝承されてきた卜傳流剣術、當田流棒術、林崎新夢想流居合、本覚克己流和
などの古流武術を中心に、心身を生き生きと豊かにしていく稽古を楽しみましょう。
ご関心のある方はどなたでも参加できます。初心者も歓迎いたします。
(小学校高学年以上、見学も可)。
・日 時:2017年2月4日(土)13時~15時
・会 場:北辰堂 - Wikipedia(青森県弘前市長坂町37)
(明治初期に、もと武士達や各流剣術師範たちが創立してから134年、
・参加費等:無料
その他
・動きやすい服装でお願いします。(室内、板の間の道場です。内履き等は不要です)
・木刀や帯類などの稽古道具がある方は持参ねがいます。
・シゴキ等はありません。各自の興味関心、体力に応じた稽古です。
・安全に充分留意した和やかな稽古ですが、もしもの際のケガ等は自己責任でお願いします。
修武堂小山隆秀
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家伝の卜傳流剣術「裏」四本目は玄妙だ。本当によくできているがよくわからない。
昨日の修武堂定例稽古では、家伝剣術大太刀「表」五本から「裏」五本を皆さんで一緒に稽古した。
その説明で、また私が間違えた。
先日以来、左肩を痛めたうえに、風邪でフラフラだったため、暗愚さが増していたようだ。
それでも、慣れ親しんだ稽古道具は、自分のココロとカラダを整えてくれる法器になる。
帰宅して、愛刀(真剣)を撫でまわしていたら、少し体調が治ってきた感じがある。
冷静になってから反省を始めた。
間違ったのは、裏の四本目だ。
不可解でいつも私を悩ませてきた形である。
中段と斜の構えで互いに間合いを詰めた後、互いに鏡像のように片方の肩に剣を担ぐやいなや、同時に同じ太刀筋上で袈裟に斬り合うのだ。
以前、人前で父とこれを演武した際、未熟な私の太刀筋も拍子も調子もすべて駄目だった。
勝負で「速さこそ大事だ」と考えるのは、実地経験が少ない初心か素人の発想である。
この形についても、剣道初心者のように、ひたすら相手より速く打ち込もうとするだけでは全く通用しない。
やってみれば、素面素小手だから、互いに無事ではいられないことを痛感するだろう。
そのときは、空中で互いの木剣が折れるかにように激しく絡みあい、形が成立せずに恥をかいた。もう少しで互いに木刀の直撃をくらうところだった。
それ以来、またやったら必ず相打ちとなる。いくら木刀でもこんな危ない技などありえない、と考えてしまった。
ところがスッキリしないので、亡き祖父が遺した口伝書を読み直した。
やはり、本日の私の説明は少し間違っていた。
しかしやはり、この通りやったら相打ちではないか。
実際にもう一度試してみよう。
息子を相手に、木刀同士、袋竹刀同士でやってみた。
なんと不思議に形の要求どおり、技が成立するではないか。
同じ軌跡上で斬り結んだ太刀同士だが、打太刀の刀だけが反れ、我の刀は相手の首筋へスルリと入っていく。
私が間違って紹介した遣い方の場合、相手の力を直接受け止めてしまい衝撃をくらうが、この家伝本来の遣い方ならば、相手の力を受け流してしまうから負担が少ない。
それにしても、さらに他の要素も同時に関連しているようなので、何度かやって考えてみたが、なんで成立するのかまだ分析できていない。
たとえ私がアタマで考えて納得できなくとも、実際の技では、成立することがある、ということだ。
いや、へたに分析してしまうと技が壊れてしまいそうで怖い。むず痒いままでそっとしておいた方がいいのかもしれない。
ともかく、このような理を発見した先人達の知恵にうなってしまう。