〇定例稽古のお誘い
弘前藩で伝承されてきた卜傳流(ぼくでんりゅう)剣術、當田流(とうだりゅう)棒術、林崎新夢想流居合、本覚克己流和(ほんがくこっきりゅうやわら)などの古流武術を中心に、心身を生き生きと豊かにしていく稽古を楽しみましょう。
ご関心のある方はどなたでも参加できます。初心者も歓迎いたします。
(小学校高学年以上、見学も可)。

  ・日時(予定):2017年4月8日(土)・15日(土)・29日(土) いずれも13時~15時
  ・会   場 :青森県弘前中央高校(弘前市)4F 武道場 をお借りいたします。

  (※お借りしている会場なので、直接、会場へのお問合せはご遠慮ください。)

  ・参加費等:無料

その他
 ・動きやすい服装でお願いします。(室内、板の間の道場です。内履き等は不要です)
 ・木刀や帯類などの稽古道具がある方は持参ねがいます。
 ・シゴキ等はありません。各自の興味関心、体力に応じた稽古です。
 ・安全に充分留意した和やかな稽古ですが、もしもの際のケガ等は自己責任でお願いします。
                                 修武堂小山隆秀

家伝の卜傳流剣術の小太刀稽古は、仕太刀(弟子側)が構えを打たれることから始まる。

なぜだろう。

剣道や剣術の地稽古では、間合いに入るや否や、ドンドン打っていく方が気持ちがいいし、技が伸びやすい。

幕末以降そのようなシナイ打ち込み稽古が流行したらしい。竹刀剣道の稽古方法の多くはそこから始まった。

だが、ややもすれば、打っていく側は、打つ前の攻めは濃密でも、打った瞬間、打った後の心身が空疎になったり、居着いてしまうことも多いのではないか。

一方、打たれる方は、技前の攻防、互いの剣が接触した瞬間、その後…と、次々と変化していく彼我の間合いと関係性を、時間に深く入り込んでギリギリまで濃密に観察、体感できる。

これが稽古で師匠側が務める「元立ち」の醍醐味でもある。

家伝剣術では、その打たれることを弟子側も学ぶ。

最初から打ち合いをさせてくれないのだ。

まず、右片手に小太刀を持って構えはじめる。

このとき、まずは左右に腕を少し開いて、小太刀と全身をひとつにつなぐような所作をする。

そして、旭が登るがごとく、小太刀を掲げていく。

(なお家伝剣術小太刀では正対する姿勢も使う。日本剣道形のように間合いをかせぐため、常に小太刀側を前に突き出す右半身のみでは、左右への変化に乏しくなるからだろう)

すると自ずと、小太刀と一体化した我全体に動きが生まれる。

この初動は、いつものように闘志満々、地面を蹴って生み出した自力ではない。

最初の意は自分だが、その後は自分であって自分ではない。

まるで濁りのない清流のように、自然と流れ出てくる動きだ。止められない。

その流れと我と小太刀とすべてがひとつになって、間合いを詰めていく。

推進力が自力ではなく、両脚が地面から開放されているから、途中で変化できる。

相手(打太刀、師匠側)と我の状況変化を冷静に観察できる。

しかし、剣を振り上げて待ち受ける相手にとっては、異質な世界が感じられる。

あたかも小太刀の構えが、車輪か水流のように切れ目無く、音もせず、近寄ってくる。

構えながら仕太刀が間合いを詰めていくこと自体、先をとって相手への攻めとなっている。

その威圧感に痺れをきらした打太刀は、間合いに入るやいなや、遠慮なくその構えを打ち落としていく。

だが、その瞬間も、その前後でさえも、仕太刀は一瞬たりとも止まったり、居着いてはならない。

そうすればその瞬間、必ずや打ち落とされよう。

どうなるかと怖がってもいけない、こうしてやろうと願ったり期待してもいけない。

打たれる前も、打たれた瞬間も、打たれた後も、ただ「平常心是道」同じ心身で歩んでいく。

異常なことではあるが、そのことこそ、打太刀の恐ろしい斬りを受けない八面玲瓏の身となる方法なのだ。

すると不思議なことにときおり、遠慮無く狙い撃ちしたはずの打太刀が、空振りしてしまう現象が発生する。

両目裸眼2.0の私でもそうなるときがある。打太刀も仕太刀も全く実感がともなわないので、もう一度やって同じ現象となったりする。まるで狐にだまされたような感じがする。

その現象は、旧八戸藩に残された「願立剣術物語」の記述と酷似する。

源流が親戚関係にあたるから、同じような理合があっても不思議ではないだろう。

だが、それを奇貨として、空振りさせようと囚われてもいけない。

その現象の再現に居着けば、次は必ずや打ち落とされる。

何がおころうと全くかまわず、相手のことなどどうでもいいから、ただただ、己の心身が小太刀とひとつになっているかどうか、天地に居着いていないかどうか、その権衡(バランス)だけを注視する。

この稽古はそのまま大太刀でも同じことを行う。初心者には教えるなと伝える稽古だ。

このなかに、構えや歩法など基礎的な術理が自ずとすべて入っていることが自ずとわかってこよう。

この後で、さばいたり、打ったり、手をとったりと、具体的な技の攻防を学んでいくが、それらすべての技の発現の仕組みについては、やはりこの素朴な形から学ぶのである。

前述した囚われずにそのまま入っていくべき間合い、時空について、そのまま不感症になるのではなく、より深く濃密な時間を見つめて体験しておくことが大事となる。

すると具体的な技法へ進んだとき、その間合いにおいて、先をとられた打太刀がこらえきれずに斬りを出す、その気配が、我の技の発現を生むことを、じっくりと楽しめるようになる。

「己の技は自分が決めるのではなく相手が決めてくれる」という父の感覚もそうだろう。

そしてその心身は「為すべきときに、為すべき場に居て、為すべきことをする」という武士たちが求められた役割にも通じたろう。

そこには武が、独りよがりの暴力を超えていく示唆があろう。

武の稽古とは、あまりに抽象的すぎてもだめであり、あまりに即効性を求めたり、あまりに曲芸的でもだめだ。すぐに通用しなくなる。

そのなかでもこの稽古はあまりに素朴で、演武でやれば愚者のようで失笑を買うだろう。

当流はそんな稽古ばかりなので、現代ではほとんど広がらない。

だが、実際に体験してみれば、その不思議さ、玄妙さ、コロンブスの卵のような展開に、顔色が変わられる方が少なくない。

私自身、稽古だからこそ成立する曲芸であり、実用性があるのかと、大太刀相手に、小太刀の袋竹刀で、自由稽古を試したことが何度もある。

するとふだん、間合いを詰めるときにあれだけ大太刀に打たれたのが、急に打たれにくくなり驚いた。

剣道部時代あれだけ地面を蹴って足の皮をはいで流血していたのとは全く異質な技法だ。

ただ間合いを詰めた直後、私自身の焦りで、その状態を壊し、いつものモグラ叩きに陥る。

さて、全国武者修行で無敗を誇った弘前藩士浅利伊兵衛。

彼が他流仕合をしたとき、どんなに速い相手でも、扇子や小太刀片手に、なんなく間合いを詰め、相手の動きを封じてしまったという神業エピソードが多い。

神話だろうと思っていた。しかしそれでは、永遠に気づけないことがあるのではないか。

私のような暗愚でも、それを実際の理合いとして遠望しながら稽古していくための、具体的な道しるべにしていきたい。

小太刀から剣理をとらえなおす。

たったひとつの武具だけではなく、様々な武具でも稽古することが、新しい視座につながる。

例えば小太刀。

古い形を、表演用や精神論、儀礼や有職故実のひとつとして伝承する方法もある。

だが、わたしはそれだけでは退屈で生きていけない。

理法の活きた妙味を感得する喜びは、実際に戦うためにはどうするのか、

という実践的工夫からこそ生まれる。

だが、剣道竹刀や袋竹刀等で小太刀を構え、常寸相手に地稽古をやれば難しさに圧倒される。

間合いで劣る小太刀は、誰しもすぐに大太刀(常寸)に叩き伏せられ、連打を浴びてしまう。

近現代の稽古で「正しい」とされる基本技法の多くが、小太刀ではほとんど通用しなくなる。

どうしてなのか。

このこと自体が、我々へ、大きな問いを投げかけている。

形が示すように、実際にどうやったら大太刀の手元へ入り、制することができるのか。

日本剣道形でさえ、小太刀になるとふだんの「正しい基本」では認めていないことをやり始める。

片手で半身に構えること、左足前の技、相手の腕を掴み関節を極める等。

これらについては、ふだん全く説明がないから、実感がともなわず慣れない方は多いだろう。

すなわち「正しい基本」に変更を迫るほど、小太刀技法は難しいということではないか。

競技ならば、アンフェアだとしてルールの改善を求めていいだろう。

しかし往事の現実の闘争では、条件を選ぶことなどできなかったろう。

むしろ敵は、こちらがより不利な状況を選んで襲ってきただろう。

それでも生きのびるため、先人達の稽古は、己にとってより厳しい状況設定で工夫した。

全く困難な状況だからこそ、工夫が求められる、先入観の全面改定が求められる。

小太刀の稽古こそ、その端的な例ではないか。

常寸刀で稽古している「正しさ」が、もし「伝統技法」ならば、往時の武士達のように「長短一味」、すなわち長い武具でも短い武具でも同じく扱えることが成立するはずだ。

それができないということは、先人達と我々の技法が、何かずれているのではないか。

よって現代において、大太刀(常寸)および小太刀両方の稽古を通じて、その共通性から、先人達の剣理を探求していくことは、非常に意義のあることではないか。

では、現在の私の拙い工夫を報告して終わりたい。

武で間合いは最重要要素だ。特に小太刀において。

近年の古武術稽古で陥りやすいミスは、すでに間合いに入ってしまってからの技の精度と応酬のみを工夫してしまうことではないか。

しかし現実の闘争はそこまでいかに入っていけるか、技前の稽古も重要だ。

彼我の関係性がいかに発生し、いかに間合いを詰めて接触していくか。

それによって、同じ技でも、相手に通用するかどうかが、全く違ってくる。

だから古流の形稽古には開始線がない。それ以前、遥か遠い距離から始まって、しだいに間合いを詰めていき、刃や拳を交えていく。

その関係性の発生と変化はそのまま、闘争だけではなく、我々の日常の人間関係そのものだ。

その稽古は、特に間合いを詰めることにおいて不利な小太刀だからこそ、深く探求できる。

激しい攻防のなかでも、間合いに入っていくための心身の具体的な規矩こそ、小太刀か。

家伝剣術の形が示唆しているのは、フットワークや度胸という不安定な存在ではない。

どうやったら、武具と全身が全くひとつの存在と化して、動いていけるか。

その基準器が、片手に捧げた小太刀そのものである。

すると小太刀は、わたしの余計さも、居着きも、想定外も、いろんなことを導いてくる。

やはり、私の考えていた「正しさ」が疑わしくなってきている。

実際の有効な武技として小太刀を遣った先人達の動きは、あたかも野猿のような、古い舞いのような感じだったのではないか。

ならば、それと対である大太刀の動きも同様だったのか。