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なぜ武芸伝書の勉強会をやるのか?

20年前にひとりで歩き出した津軽地方の古武術再起動の旅だが、

近年は多くの強力なお仲間が増えて心強い限りだ。

だが、この世界の奥深さを語り尽くすには、浅学菲才の私だけではとうてい無理だ。

また、ともすれば我々は、伝承の規矩を、現在の己の感覚へと我田引水してしまう。

そのときに、再び原点へもどって定点観測をするため、形や口伝、伝書がある。

だが、ここ100年で武術・武道を取り巻く環境は大きく変化した。

先人の伝書を読む方は皆無に近く、その作法さえ我々は忘れかけている。

いや、読めなくなったといっていい。

書き記した先人達の身体と、同じ地平に立ちはじめて初めて読めてくる表現がある。

よって能力がないのを承知で、少しずつそれを勉強する場を始めたい。

そして先人達が残した「伝説」も大事だ。

現代のスポーツにも「伝説」はある。

先人達の「伝説」は、その真偽を問うよりも、

現在や未来の修行者、プレーヤーの憧れや目標となり、迷ったときの道しるべとなって、鼓舞し、

やがてはその世界を活性化させてくれる。

ふるさとの古い武芸にもそれがある。その拙きガイドをしたい。

いや、何より自らを鼓舞し、袋小路から抜け出して、新しい指針を見出していくために。

 

(業務連絡)

まずは、故太田尚充先生が残された研究をもとに展開していきます。

推奨テキストは、

太田尚充著『弘前藩の武芸伝書を読む 林崎新夢想流居合 宝蔵院流十文字鑓』水星舎、201年(http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB01822210)です。

どなたでも参加無料(予約不要)ですが、防寒対策は忘れずに

 

 

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林崎新夢想流居合の稽古は、今までの身体と技法を転換させていく。

同流は、脚への斬りや突きを斬り伏せる稽古が多く、剣道で、突っ立った構えになじんだ私は、身体の組み替えを迫られている。それが面白い。

「正しい」とされる直立姿勢で激しい攻防を行う近現代剣道。

それで培った心身をベースに、その濃淡や粗密を全身へとならし、オールレンジ「八面玲瓏の身」へ進化していく方法として、この「規格外」の古流稽古は大変、効果的だ。

幕末から近代の撃剣や剣道で、試合の判定上、稽古の安全上、打突部位や技を制限したことは誠に優れた工夫だった。

だが、その体系に馴染み、その身体観を何度も刷り込んでいくほど、ルールに基づいて身体のなかで感度が高い部位と、そうではない部位が発生してくるようだ。

具体的には、面、小手、胴、突き等の打突部位を打ち打たれることについては非常に繊細だが、それ以外の身体部位については、打たれても認識しない。鈍感になることがある。

だが、手指、袈裟、二の腕、両脇、脚部…、いずれも試合や稽古では有効ではないが、防具のない実際の攻防ならば、大きなダメージとなる。

さらに「防具があるから当たっても大丈夫な」攻防と、「素面素小手だから、少しでもかすったら大変な」攻防では、心身が、技法が、全く変わってしまう。

当たり前のことだが、古流は、全身への攻防を前提として、技法体系が編まれている。

そこことを、愚鈍な私は、形の手順をなぞるだけでは実感できなかった。

だが実際に、打突制限を設けずに袋竹刀で打ち合い、何度か実験してみれば誰でもわかる。

今まで意味不明と黙殺していた古流演武とそっくりな現象が、ときおり我が身に出現する。

すなわち、これらの古い形を残した先人達は、すでに経験済みのことなのだ。

そのことを知ったとき、目前の「退屈な」古流演武が、リアルに感じられてくるだろう。

その気づきは、睫毛の先にある。

「正しさ」からいったん脱線してみる勇気がなくては見えてこない。

林崎新夢想流居合をやるとハラが落ちて、腰が据わってくるようだ。それを実感できた。

昨日の本覚克己流和や、袋竹刀による剣術自由稽古での組打ちなど、対人稽古のなかでふと気づいた。

どうやら私は以前より、身が軽くなったと思っていたが、そればかりではない、重心が落ちて崩されにくくなっているようだ…。

例えば本覚克己流和伝書では、

「位」とは自分自身でつくるものではなく、他人との立ち合いのなかで、自ずと発生していることに気づかされるものだ、

という意の文章が記されているが、他の術理についてもそうなのか。

ともかく私は、林崎新夢想流居合の稽古で、ハラを重心を落とそうと努力したことはない。

なぜならば、両脚を低く折りたたむ趺踞(ふきょ)という古い座法では、どうしても、地に足が張り付いて全く動けなくなってしまうからだ。

だから、逆にいかに浮き身をかけて、動けるようになるか苦労していた。

現段階では、短刀を帯びて正座している打太刀の前へと歩みより、その両膝の間に左膝を入れながら、まるで樹上から花芯か果実がポトッと自然落下したように趺踞する。

このポジショニングは、長い三尺三寸刀にとっては前へ抜けず、両脚は封じられて、全く動けない最悪の状態である。反対に短刀の相手は自由自在だ。

この最悪の状態で、いかに懸待一致、自由自在を獲得できるか!?

ここから居合が生まれたという伝説がある。

趺踞をあまり自分で設計すると、身体は重く居着いてしまうから、座った瞬間の身体全体がフワッと自然な状態であるままにしたい。

一方で矛盾するが、同時に座ったときに、帯刀している三尺三寸刀の刃の向きと身体の連動で、若干、ハラに沈みと全身の安定性を発生させておく。

正面に密着している相手が九寸五分の小刀を抜く気配を察知し、抜刀が発動していく。

その瞬間、いかに浮き身をかけて身体の自在性を獲得するかが重要だ。

そのことは敵の後の先をとって、九寸五分の突きを斬り留められるか!?

という、開祖林崎甚助がこの流儀を打ち立てた最重要の命題に直結している。

五里霧中の私は、前述の三尺三寸刀の刃筋の向きの変化で、一気に全身に浮き身を発生させること、それが抜刀を発生させるトリガーになるかと工夫している。

その瞬間に、改めて体感的に共感されるのが、近世、東北各藩の同流修行者達が伝書のなかで表現した共通のシンボル、人体図である図法師またはトンボ絵の逆三角形の姿である。

古流師範のなかには、近世伝書の人物画は、実際の技法とは異なるから稽古の参考にはらなない、あえて隠して書いているのだ、等という見解もあるが、私はそうは思わない。

あの絵は、現実の実技に重要な示唆を与えてくれる。

当時の必死の稽古において、無意味な絵をやり取りしたわけがないし、描いた絵にはどうしても己の身体観念や自己のイメージが投影されてしまうものだ。

絵が参考にならないのはむしろ、現代の技法が当時から変容してしまったからではないだろうか。

現実に林崎流共通の伝書では、図法師のまわりに朱色の線が引かれているが、筆遣いがわかる人には、動きの方向を示す矢印マークの代わりや攻撃部位の目印として表現されていたことがわかる。

また技を遣っている人物画、図法師の逆三角の体幹の表現は、座ったときの浮き身やバランスのとり方でなんだか共感できる。

そして体側を示す斜めの線は、いまの私には、趺踞から抜刀する瞬間の体内の感覚を想起させる。

さらに胸中央の黒丸や黒い棒などの表現は、重心の位置や、抜刀そして納刀時の身体と三尺三寸刀を連携させて遣うときの規矩が示されているような気がしている。さらにU字に描かれた足裏も、薄氷を踏むようにという教えを彷彿させる…等、つきないのだ。

(※なお、このような近世の武芸伝書を現在の稽古にいかに活かすか、という、現代の我々が失いつつある行為については、

2017年11月11日(土)10時~12時頃、国重文の旧笹森家武家住宅(青森県弘前市若党町)における「武士道場」(参加無料)でご紹介できればと思っている)

このように暗中模索やっていると、この稽古が独りよがりにすぎず、果たして実際の立ち合い、つまり林崎流居合とのコンタクトでも効果があるのかな、と思うことばかりだ。

しかしあるようだ。

この林崎新夢想流と全く違う状況の対人稽古であるにもかかわらず、十手術柔術などのでの身のさばきや崩されにくさなど、いろいろなわが身体の変化に気づけたことは大変うれしいものだ。

さらに袋竹刀による剣術自由試合稽古では、今までの剣道地稽古のような直立姿勢ばかりではなく、低い腰のまま脚部への攻撃を防ぎながら、攻防することが少しラクになってきた。

ことに槍や薙刀、棒などで足を切り払われることへの対策には、林崎新夢想流居合形のなかに実技としてたくさんのヒントが示されているから、今後さらに深めたい。

これらは明らかに林崎新夢想流居合の形稽古の効能である。

まだまだいろんな変化が来るだろう。

全く、古伝の形に内包された、計り知れぬ仕掛けに驚いている。

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