林崎新夢想流居合の再生にむけて

わが修武堂では、会員共通の居合として、旧弘前藩の林崎新夢想流居合を稽古している。

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林崎流の居合は「戦国末期の剣豪林崎甚助が創始した」という伝説があり、「最古の居合」という説もあるが明らかではない。

ともかく、発祥地山形新庄から日本各地へ広がったようで、多くの分派を生んだ。

津軽弘前藩には、17世紀、常井喜兵衛という破天荒な剣豪が伝えてくれた。

その弟子で諸国武者修行無敗だったという 浅利伊兵衛 が中心となり、藩内では各流儀の違いを越えて多くの武士達が修行した。

明治・大正になっても、旧藩時代の門人制度が複数残っていた。

我が家も、小山次郎太夫英貞以来、卜傳流剣術とともに浅利の系譜につながる林崎新夢想流居合を代々修行してきた。

その技量をもって藩内の治安維持や箱館戦争へ向かった。

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明治22年武芸奉納額      卜傳流剣術および林崎新夢想流居合師範小山百蔵・英一親子

 

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幕末の弘前藩士小山百蔵が記した「(林崎新夢想流)居合掌鑑」(卜傳流剣術宗家小山秀弘蔵)

 

また、幕末から近代の卜傳流剣術高弟に小田桐友平翁がいた。

故笹森順造師範の回顧録によると翁は、廃藩置県後もチョンマゲ姿のままで、北辰堂道場で撃剣稽古が終わると、小刀がわりに扇子を構えて座り、後進達に林崎新夢想流居合の指導をしていたという。

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明治22年小田桐友平による武芸奉納額

 

しかし昭和期になると、東京へ転出された笹森師範の伝系以外、津軽地方に残った各系統は衰退し、個々人の伝承となってしまった。

それでも昭和末頃から、弘前市内の剣道・居合道高段者有志による復元・再興の活動が始まった。

二十代の頃、私も剣道のS先輩と二人で研究稽古を始めたが、やがて私ひとりとなった。

私は、現代の居合道を習ったことがないから、この林崎新夢想流居合こそ、私にとっての居合だ。

先祖たちの伝承や記録をもとに、夜になると、トイレットペーパーを積み重ねた山を打太刀に見たてて座り、模擬刀を抜いていた。

高名な武術家甲野善紀師範には、様々なアドバイスをいただき、御著書でも取り上げていただいた。

そして當田流とともに林崎新夢想流居合も伝承されていた故寺山龍夫師範(浅利伊兵衛のご子孫)に師事されたI師範を尋ねて、独習した拙い形をチェックしていただいたこともある。

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故寺山龍夫師範(右側、昭和30年代か)

 

やがて2004年、各流の古武術を研究稽古会する有志の会「修武堂」設立とともに、故加川康之氏や櫻庭晋氏が研究稽古の同志となってくれ、現在の稽古の土台が構築されていった。

その後、多くの方々も参加してくれるようになり今日に至る。

 

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さらに近年は、当会の下田雄次氏や外崎源人氏が、フリーな立場で林崎流の稽古に特化した有志の会「弘前藩伝・林崎新夢想流居合稽古会」を設立され、私も協力者のひとりとなった。亡き加川氏と私の暗中模索稽古を、さらなる新しい視点から再検討されている。 

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このように 多くの方々に支えていただいている稽古だ。深く深く感謝申し上げる。

さて、私が稽古の指標としてきた先人達の記録は、それぞれ個性があるものだ。当たり前だ。

例えば、複数の近代師範の記録は、合理的思考に基づく的確な描写で、その所作の外形を習得するためには重要な参考書となる。

だが、愚鈍な私が盲信して、そのままなぞるだけでは、手順だけだ。

あたかも魂のない木偶のようなもので、活きて千変万化する武技にはとうていなりえない。

 

長く稽古相手をしていただいた故加川氏は、柔道有段者かつ整体術師でもあられた。

だから身体の仕組みや構造に通じていた。また同居合から派生した古流柔術 本覚克己流和の技法も研究されていた。

よって彼に小刀を持って座って打方になってもらい、私の拙い身体と技を批判的に検証していただいた。

様々な武種の方々もまきこんで議論しながらの研究稽古が続いた。

暑い夏も、道場の床が凍りそうな冬も…。実際に活きて使える技を求めて。

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一方で、弘前市内に散在する同流の文書や伝承、古記録の調査も励行した。

やがて実技稽古のなかで、文字記録だけでは表現しきれない微妙なニュアンスが感じられてきた。

すると、それより古い記録、すなわち幕末から明治・大正に林崎新夢想流居合師範だった先祖小山百蔵・英一の記述がようやく読めるような感じになってきた。

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なぜならば、いくら4代前の父祖といえども、彼は近世の人物である。

よってその記述は、現代の合理的説明とは異なり、修行者の主観的な説明のため、同じような体験を積んではじめてニュアンスがわかる「わざ言語」のようなものだからだ。

すると今度は、いままで参考にしてきた近代師範達の伝承との差異も見えてきた。

おそらく同じ藩内の同名流儀でも、各師範の個性で差異があったのだ。

当たり前である。それでいい。使えればいいのだから。

よって私が現在、稽古しているのは「家伝の卜傳流剣術が併修していた林崎新夢想流居合」だ。

両流は、我が家の父祖達の身体のなかで、ひとつの体系として結実していたであろう。

連綿と継承してきた家伝剣術の魂をもって、衰退した林崎新夢想流居合を復活させたい。

そのとき、両流が導いてくれる心身のハーモニーはどのようなものになるのだろうか。

 

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 外崎源人氏(左)と筆者(右、小山隆秀)による林崎新夢想流居合

 

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修武堂および弘前大学古武術研究会メンバーによる林崎新夢想流の研究稽古

 

(追記)

近代の資料を再読していて気づいたことがあった。

明治27年(1894)11月11日に、旧弘前城下の町道場「城南倶楽部」の落成稽古で入門した千葉健之助という人物のことである。

彼は、近世以来、當田流剣術および「林崎新夢想流居合」の師範家だった浅利万之助系の門人であった。

(明治二十七甲午年「名簿帳」、太田尚充2010『弘前藩の武芸伝書を読む』水星舎p170~174より)。

千葉師範は、同居合の伝承を現代へつなぐキーマンだった可能性がある。

なぜならば、同じ市内の町道場「北辰堂」の偉大な大先達であられる故笹森順造師範は、

この千葉健之助氏から「「神夢想林崎流居合」の道統を承けた」と、自著で述べられておられた(笹森順造1944『実戦刀法』富山房p90)。

つまり、いまに残された旧弘前藩内の林崎居合の各系統には、共通の分母が流れている可能性がある。

明治中期以降、それぞれの伝承へと分かれていったのではないか。

しかし、昭和期以降、それぞれの技法には少しずつ差異が生じていたようだ。

さらに別系統の卜傳流小山百蔵が幕末に記した「林崎新夢想流居合」の伝書にも技法的違いがある。

どの系統にも先人達の熱い魂が入っており、伝承武芸の豊かさを感じる。

ともに共通しあう根本を見つめながら、大道を歩んでいきたい。

(文責 修武堂主宰 小山隆秀)

▼(ご案内)東京で林崎新夢想流居合の稽古研究会!(主催:国際武学研究会)

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bugakutokyo.blogspot.jp

 < 武学スペシャル! 林崎新夢想流居合の身体観を紐解く稽古研究会 > 

 国際武学研究会光岡英稔代表師範と修武堂主宰小山隆秀とのコラボ稽古会です!
11月25日(土) 14:00~16:00(コラボ1) 11月25日(土) 16:30~18:30(コラボ2) 11月25日(土) 18:30~19:30(自主練集会・質疑応答)

日時:※ 全くの初心者でも学習できるよう稽古体系は組まれており、武道・武術経験のない方、

日時:※ 体力に自信のない方でもできるよう講習は進めて参ります 日時:初めて参加される方は基礎クラス1または2からの参加がオススメです

会場:11月24日(金):高田第二区民集会室 2階 会議室 〇〇:JR山手線・西武新宿線 高田馬場駅より徒歩5分

〇〇:11月25日(土):南長崎第四区民集会室 2階 会議室

〇〇:都営大江戸線 落合南長崎駅より徒歩8分

〇〇:西武池袋線 東長崎駅より徒歩8分

〇〇:※ 各日で会場が異なりますのでご注意ください! 〇〇:※ 使用する部屋は「意拳同好会」で予約しています

〇〇:※ 会場は借りているだけですので直接の問い合わせははご遠慮ください 定員:各クラス 12名

会費:持物:動きやすい服装 〇〇:練習用の武術の道具【木刀、木刀用の鞘、居合刀、帯】(お持ちの方) 〇〇:※ 武具は貸し出し用が若干ございます 〇〇:※ 希望の方は申込の備考欄に「武具貸し出し希望」と明記ください 〇〇:※ 数の関係で貸し出しが出来ない場合は別途お知らせします
申込:講習会のお申し込みは 兵法武学研究会・東京 お申込フォーム からお願いします《 兵法武学研究会 》 武術家 光岡英稔先生の最新の研究内容を基に各国、各種の武術を稽古、研究していきます。 今最も新しい研究では「袈裟」(梵字 Kasaya)から観えてくる身体観から剣術の基礎にして重要課題である「袈裟切り」「逆袈裟」を見直しています。 11月の講習会では林崎新夢想流のコラボも見据えて、さらなる展開、発展が起こり得ます! 初心者から歓迎のクラスですので、武術のみならず身体のこと、文化のことなどに興味のある方は是非参加ください。 《 林崎新夢想流居合の身体観を紐解く稽古研究会 》 8月に開催し、全国各地からの参加者もあって大盛況だった林崎新夢想流居合のコラボ講習会。 その第二弾の開催が決定しました!! 今回も 修武堂  の小山隆秀先生をお招きして光岡英稔先生とのコラボによる会となります。 林崎新夢想流居合は日本武術における居合の祖である林崎甚助が戦国から江戸時代前期に打ち立てた流派であります。 その林崎新夢想流居合を弘前で継承、研究されている小山先生と光岡先生は以前から長らく交流されており、光岡先生が小山先生に教え頂いた林崎新夢想流の居合型を用いての研究を武学で行ったり、小山先生が光岡先生の講習会へ参加して稽古をしたりしてきました。 今回の講習会では小山先生から林崎新夢想流居合に伝わる型を教えていただき、実際に皆で林崎新夢想流の居合、抜刀型を稽古しながら、光岡先生からはその稽古方法や型が観せてくれる身体観を如何に獲得して行けば良いかなどを助言いただき、体験しながら研究と講習を進めて参ります。

この日本の武術を紐解くための希少な機会に御関心ある方は是非お越しください。 皆様の参加を御待ちしております!
主催 国際武学研究会

8月のコラボ講習会の様子

<ゲスト講師 プロフィール>

小山隆秀(おやまたかひで)

1969年、旧弘前藩(青森県)で代々、卜傳流剣術(ぼくでんりゅう) 指南番を務めてきた家に生まれる。 宗家である祖父 秀雄と父 秀弘(剣道教士八段)に師事し、5才から同流剣術を、6才から北辰堂で剣道を学び各種大会へ出場。 2004年、家伝剣術を研鑽するため、異なる様々な武術や武道と交流稽古を行う武術研究稽古会 修武堂を設立。 一般への普及活動も行いながら、4代前まで師範家を務めていた林崎新夢想流居合の復元と復興を目指して活動している。

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林崎新夢想流居合は、弘前藩のサムライ共通の居合だ。

藩内の當田流、小野派一刀流、本覚克己流和、卜傳流などの各流派がこの居合を併伝した。

幕末以降は、武士以外の人々も学んだから「津軽のスタンダード居合」といっていい。

しかし、そのあまりにクラシカルな姿は、現代の居合とはかなり異なるから、

「なぜ遠い間合いから抜き付けないのか?」というご質問をいただくことがある。

もっともだ。

しかしこの居合では、遠間から抜き合い斬り結ぶ稽古は、上級コースである。

初めはひたすら只管打坐。相手と密着した狭い空間内での抜刀を錬磨する。

多用する座法「趺踞(ふきょ)」は、両脚を地に組み伏せる姿で、現代人からすれば非常に窮屈だ。

(だが、このような座り方は、前近代の日本列島各地では、ありふれたしぐさだったようだ。

縄文から近世までの出土人骨の多くにも、日常的にしゃがんでいた痕跡が残るという。)

もとい。

この稽古では、両脚を封じたうえに、さらに真向かいに打太刀が座り、我が三尺三寸刀の柄をその左腕に当てて、右手を前へ出して抜くことさえ抑制される。

すると目前から九寸五分の小刀が襲ってくる。

すなわち最悪の状況で、いかに自由をえて、懸待一致(攻めと守りがひとつになること)、相手に応じられるか!?

という、戦国末期の開祖、林崎甚助の命題そのものの所作なのである。

ここから居合が生まれたともいう。柔と剣をつなぐものだともいう。

その古い形によって、現代の我々も林崎甚助の探求を追体験していくのだ。

あまりに難しい設定のため、お会いできた近代の修行者達のなかには、動きやすい普通の立ち膝に崩して稽古されていた方々もいた。

長刀を動きやすいするため広い間合をとったり、届かせるために九寸五分の短刀を長くしたり、打太刀の顔面に当て身を入れて、後ずさりさせて空間を空けてから抜く…

といった、いろんな解釈も生まれたようだ。それぞれの伝承には個性があっていい。

しかし、やりやすくするために、古伝の形の大命題を崩してしまえば、上達へ導いてくれる無形の規矩さえも失われてしまうだろう。

この古い居合は、我が三尺三寸の長刀の弱点である「近間」で行うのが骨格なのだ。

すなわち、近い間合いでは相手の九寸五分小刀が圧倒的優勢となる。その彼の制空圏内で稽古することが大前提ではないか。

そのなかで、いかに応じていくか、という錬磨を重ねていくなかでこそ、獲得されていく技法、身体があることを暗示しているのではないか。

追い詰められた龍が玉を吐くように。

最初は、卒倒するほど厳しい設定で、まるで絶壁の前に立ちすくむ思いがするだろう。

だが、伝承武芸のいいところは、いくら断崖絶壁、無人の荒野であろうとも

「前にここを通った人がいる」というレジェンドが、大いなる希望、勇気となることだ。

「わが父祖達が実際にやってきたのだから、できないはずがない」

という、根拠がない強い希望を胸に稽古を進めている。