滞りなく流水のごとく

武において間合いは最重要事項である。

いくら優れた技でも、相手にあたらなければナンセンスだからだ。

たとえば林崎新夢想流居合では、稽古の方便として、相手に密着した特殊な間合いゼロ状態を設定して、自在を求めていくが、

その一方で、いかに相手へむかって間合いを詰めていくのかも学ぶ必要がある。

それはやはり剣術、槍術、棒術などの稽古が効果的だ。

だから弘前藩のサムライたちは、林崎の居合とともに、小野派一刀流、當田(とうだ)流、卜傳流、宝蔵院流なども併修したのだろう。

私はときどき袋竹刀で地稽古(自由打ち合い)を試みるが、打ったり打たれたりする模索のなかで、様々な課題に気づかされる。

そんなとき、いつも浮かぶのが、わが先祖も学んだ弘前藩の名流、當田流の教えだ。

 「兵法の要(かなめ)は、心と行いが一致することである。

近ごろの剣術は、木刀やシナイのような軽いもので速い技を使い、

自らには災いがないうえで、相手に勝とうとする。

あるいは、様々な幻のような術で人を惑わして勝とうとする者がいる。

これは剣術の実ではない。

世のなかは、このようなめずらしい変化を見て、多くの人が好むものだ。

これは最も愚かなことだ。

このようなものは、常に変わったことをするが、実にはならない。

なぜならそれらは、術は高くとも、実がないからだ。

わが家伝は、実を本として、よこしまな術はない。

敵に逢って、すなわち滞りなく流水のごとく近寄り、

まさに首に股を、骨に肉を替えて勝つことを本とする。」

(17世紀「当田流太刀許之巻 五 當田流太刀許極意之巻」意訳)

 一見すると、よくある精神論にみえよう。

だが稽古が進んでくると、誠に具体的な術理が説かれていることに気づく。

とくに注目すべきは最後の二行だ。

これについては追記があり、

「敵に向かって少しも退くことなく、

ただ身命を投げうって深く踏み込み、

敵の太刀の鍔元、あるいは拳で打たれる覚悟を第一とする。

打たれるべきところがはずれて、鍔元で打たれたときは、肉も斬られることがない、

そのようなときは利がある、

このような心境は、諸流でも説くが、真実を知る人はあまりいない、

よくよく心得て修行するべきである」(意訳)

 これは「とにかく度胸を決めて思いきって打ち込め」という根性論ではない。

なぜならば17世紀当時、日本各地での他流仕合で無敗だった弘前藩の剣豪浅利伊兵衛の記録をみると、実際にその記述どおりの勝ち方をしていたようだからだ。

 具体的に説明すれば、たいがい私たちは立ち会うと、まずは開始線や「一足一刀の間合い」で構えてから、小刻みなステップを踏んで一進一退の攻防を繰り返し、打突の機会を見出していく戦術をとる。

だがそれは、敵と我とのあいだの無限の間合いを、自分の都合でいちいち区切り、そのつど居着いているため、そこが打突の機会となり、それを巡って無数の応酬が続いてしまう。

しかしどうやら古い剣術はそうはしなかった。

目付で相手の状態を見て取ると「滞りなく流水のごとく」入っていく。

すると、遅くてもよどみない川の流れに目印をつけるのが難しいように、なかなかとらえることが難しくなってくる。

かつ「流水」だから、動きながら途中で変化もする。

現在残された諸流の古い形が、そのとおりになっている。

(これは筆舌に尽くしがたく、実際に当会の稽古へきて体験していただくしかない)

我々はそれらの古い形を通じて、「滞りなく流水のごとく」入っていくこととはどのようなことなのか、そしてその効果と重要性を身体で学んでいく。

それを習得できれば、たとえ我は小太刀であろうとも、それより長い槍や薙刀、棒、林崎新夢想流居合のような大太刀への対応力がかなり変わってくる。

ところがどうしても、己自身の驚くこと、懼れること、疑うこと、惑うことが、その流水を止め濁らせてしまう。

少しでも滞り止まれば、そこに相手の剣が電撃のように襲ってくる。

このような術理は當田流だけではなく、諸流でも同じだ。

わが卜傳流剣術でも「生々と清らかに顕れ出でて」「一足三足、満月に至る」などと例え、大太刀「生々剣」や小太刀「性妙剣」などの稽古で、その素地を学ぶ。

さらに「願立剣術物語」や宮本武蔵の「五輪書」などにも似たような記述があり、中近世の諸流ではどこでも使っていたのではないか。

危機において適切な間合いを知り、そのなかで心身を居着せずに振る舞うことが、生きのびるために有効であるということ。

これは現代の日常生活のいろんな場面でも通じるだろう。

それを学べるのが武や剣の専売特許であろう。

代々、古い剣術を伝承している家に生まれ、5歳から稽古させられてきたが、

古流の形を「伝統だ」とひたすら盲信し、神棚に祭り上げてブラックボックスにしたくはなかった。

生きた規矩、法則として再発見し、提示していきたいと、幼い頃から切望し、模索してきた。

またひとつ新しい視座をえた。

古い武の形は、人間の身体の「勁道」にそって動くよう、よくよくできている。

現代の我々が、後から付け足したり改良する余地もないほどに。

それは、昔日の実戦体験のなかから導かれたものである。

とは、先日弘前で開催された光岡英稔師範による武学研究会の一コマだ。なるほど。

そのことは、古人達にとっては当たり前すぎて、当時は「勁道」という説明もなかったかもしれない。

形をつかえば自ずとそうなるし、そのように動く必然性を、全身で感じ、互いに共有していただろう。

やれば、なんとなくわかったのだろう。

だからか、祖父や父の代までの日本列島各地の古流稽古では、現代のような饒舌な説明や理論はほとんどなかった。

「間合いを詰めろ」「そこを打て」「よけろ」ぐらいで、あとはカラダで感得していくだけ。

しかし、我々現代人は、その後の大きな社会変容で、身体も感性も変わってしまった。

だから、古き形がみえなくなった。

なにか必然性か、経道がわからなくなった。

私も中学生の頃、風呂に入りながら「突きというが、肩の位置や角度で無限の組み合わせが生じるぞ、いったいどれがいいのか…?」などと悩んだことを思い出す。

だから「稽古した」即物的な実感や手応えがほしいため、自由稽古ばかりやってしまうこともあった。

形は仕組みが精緻かつ繊細だから、扱いが難しい。

合理性や論理的思考が好きな現代人が、懸命にやりすぎるあまり、古い形に、自己の思い込みや勝手な論理を付け足し、その精巧な器を、無言の装置を壊してしまうこともあろう。私もそうだ。

だから場合によっては、いろいろ我意で工夫しすぎた熟練者よりも、全く初めてその形を遣う人の方が、素直に無言のメッセージを感得できることもあろう。

そんなとき、田舎の利点もあろうか。

すなわち、近現代の武の大変動期に、中央から離れていたために、あまり改善改良されることなく、そのままほうっておかれた青森県内の古流の形群だ。

そこには、前近代の人々が感得していた身体の必然性、無形の規矩や法則が、素直に残されている可能性はないか。

幼い頃はよくわからなかったが、最近は、各古流の形演武を拝見していて、先人達が埋め込んだ無形の法則が少しかいまみえる瞬間が増え、その精緻性に感動できるようになってきた。

それは、演武者本人が理解しているかどうかを越えて、自動的に機能している場面もあり、

その逆に、演武者ががんばりすぎて形の自動機能を濁らせてしまっている場面も少なくない。自省をこめて。

なんと古き形はよくできている…!

なんと古流は面白いものだろうか…!

 

(追記)

以前、文系でも身体論がブームとなった。私も多いに関心があって取り組んだ。

だが、一般的な学術研究の手法自体が、文字や画像という二次元上の制約があるせいか、

身体論の研究が、いつの間にか抽象的概念や言語のみの操作、机上の空理空論が多くなり、

皮肉にも、一番の研究対象であるべき生身の身体からどんどん離れてしまった感もある。

それでは「論文」というものを作成するための行為であり、現場の実践者には応えられないだろう。

身体論をやるならば、まずは自分が動いてみなくては。

(※)お詫びと訂正

光岡師範が講座で指導されている「勁道」を誤って「経道」と表記してしまいましたが、正しくは「勁道」です。お詫びして訂正いたします。

 

先日、東京での武学研究会の休憩時間のときだ。

同会代表光岡英稔師範と、ゲストの甲野善紀師範との雑談に加えていただくなか、光岡師範から慧眼が示された。

古い武の形とは、当時の人々からすれば「動けば自ずとそうなる、そうせざるをえないという身体の必然性から生まれたのではないか」という推論である。

日本文化は形の文化だといわれて久しいが、

現代では、各技芸における形の意味や役割が、ほとんどわからなくなっている。

形が、順番をなぞるだけのパフォーマンスになったり、

自由攻防をしてみれば形どおりにはならないから、全く否定される方も多い。

だから古流武術をやる人もいなくなり、急激に衰退し失われていった。

形がみえなくなったことは、とりもなおさず、いかに現代の我々が、それを生んだ先人達の身体から変容してしまったのか、という証左だろう。

私もその時代を生きている。

だが、5歳の頃から、家伝剣術の形と剣道の竹刀稽古を併習し、それぞれの特性から学んだことは甚大だ。

その一方で、形を、手順を守るだけの儀礼とすることには耐えられなかった。

手順を墨守するだけの行為も、長い歴史のなかでは文化の記憶装置となるが、活きて使える武たりえない。

また竹刀稽古については、いくら試合や大会で勝とうとも、その興奮は一時だった。

「いまは勝ったが、体調や運が日々変わるなか、次も同じ相手とやって必ず勝てるか」

「世の中にはもっと強い者がたくさんおり、年老いていけば、とうてい対応できなくなる」

という内なる不安から、自由に打ち合う稽古が、かりそめの現象、ジャンケンのような虚しさに感じてしまった。

すなわち、形にも自由稽古にも、確かな必然性を感じきれなかった。私の低いレベルのせいもあろう。

もちろん武に「絶対」はない。

しかし「今回はダメだが次回はがんばろう」とできる競技ではなく、

先祖達が体験した生死の場をきりぬける方法ならば、

「たとえ勝たなくとも敗れない」という、より確実で安定性のある方法こそ求められる。

よってその場において、より必然性のある心身こそ、生き残る可能性が高いのではないか。

「必然性」とは何か。神ではない我々人間がわかるはずもない。

だがその小さな一歩として、まずは、一番身近な己の身体の必然性から、少しずつ学んでいくしかない。

そのための手がかりとなるのが、個々の個性を越える「必然性」を、世代を越えて伝えてきた古い形ではないだろうか。