古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

そのほか

日本武道文化研究所主催の「全国古流武術フォーラム2016in山形」に出席。 林崎流系統の居合を共通テーマとする、有志の研究稽古会。今回は3回目。 日本各地から、開祖林崎甚助の聖地、山形県村山市・寒河江市へ、少数精鋭が集まった。 みなさん紳士で、ずっ…

この10月は、己のルーツを巡る旅となりそうだ。 まずは明日から、家伝卜傳流剣術、その開祖が生まれた茨城県鹿島神宮の全国大会へ出場。 その翌日は、同剣術を津軽に根づかせた弘前藩家老、棟方作右衛門の墓調査へ。 (なお棟方家は、弘前藩の忍者集団「早道…

特別展「刀剣魂」が盛況のうちに無事終了した。 皆様からいただきました多大なるご支援に深く感謝申し上げます。 各方面からお借りしてきた数十振りの貴重な刀剣類。 一期一会、これらすべてにお会いできることはもうないかもしれない。 一振りずつ伏し拝ん…

先日、日本武道文化研究所のお手伝いで、秋田県角館市武家住宅街へ、武術史料調査へ行く。 もと林崎流居合師範家を訪ね、各流伝書類や刀剣類を拝見し、お話をお聞かせいただいた。 次々と出てくる武芸伝書のなかには、林崎流はもちろん、日下新流等の柔術に…

父祖たちが創設した北辰堂道場は、133年目を迎えた。 社会とともに変化してきた道場の式典で、いろいろ考えさせられた。 自分の道は自分の考えで決めたい、と焦るものだが、たいていそうはいかない。 多くの場合、世界の万物は、己の意思にかかわらずに動い…

最近、毎日のように炎天下の弘前公園をランニングしている。 何かあったとき走れる身体、そして地稽古(自由稽古)の体力養成も兼ねて。 照りつける太陽、気温30度越え、体力の消耗は激しく、カラダが重くなっていく。 そうなると翌日も走るのが嫌になって、…

この時代に剣をやることに、何の意味があるのか。 幼い頃からずっと悩んできた。 どの書物にも、どの先生にも納得できなかった。 だから、己の答えは、己で見つけるしかないと。 そのうち、少しさかしくなり、答えらしきものを取り繕うようになった。 それで…

武を、若い頃だけの腕自慢や競技大会の思い出だけで終わらせるのは、もったいない。 生涯をかけて、ココロとカラダを養っていく、深い喜びに、 そして、試合コートや道場より遥かに広い、この日常を生きていく糧とするために。 まずはじめに、我々人間は、体…

住む場所には、何かしらご縁があるものか。 実家の横を小さな用水堰が流れている。 その幅は数メートル。飛び越えた川向いは、故笹森順造師範の生家だ。 また反対側には、同じ小野派一刀流故高杉健吉師範の子孫家がある。 また近くには、家伝剣術および林崎…

我々、武道・武術の修行者は「正しさ」に憧れすぎることがある。 「正しさ」こそ強さだ、段位だと、己の尊厳のもととし、ときにそれに居着いて他人を睥睨(へいげい)してしまう。 さらにロマンとして「城下町だから、武士の街だから、武道の正しい基本をや…

「仮想現実」(VR)が、現実と人工的に作られた「現実」をチェンジすることだとすれば、 いま流行りの「拡張現実」(AR)は、現実の一部を強化、改変することだという。 聞こえはいいが、つまり「本当の現実が見えていない」ということではないかいな。 なら…

特別展「刀剣魂」が開幕するやいなや、急に引っ越しすることになった。 オール電化、屋内の冷暖房、空調、換気システム、調光、セキュリティのすべてが機械管理。 おそらく現代では一般的な住宅なのだろう。 しかし、旧弘前藩時代からの武家住宅で生まれ育っ…

わたしたちが暮らしている土地ごとに、それぞれ固有の伝説や伝承があった。 私が専攻した民俗学では、足で歩き、そこに住む人々から聞き取り、記録していく。 その伝説や伝承の真偽はわからない。 しかしどれも、そこに住む人々にとってはかけがえのないレジ…

まるで、少年時代に夢中になったジョン・クリストファーの小説「トリポッド」の冒頭が現実化されていくのを見ているような不安がある。 自分の代わりとなるアイコンが増え、バーチャル空間と現実がますます融合していくいま。 なにが本来なのか、何のために…

人の振り見て、我が振り直せ。 私だけではなく、誰しもひとは、いつも同じ問題にぶつかることが多いのだろう。 実はそれは、己自身の個性ゆえ、引き寄せてしまっている場合が多いのではないか。 他人には、その様子がすぐに見えるが、我がことになると、なか…

世の中はさらに暗く、風雲急を告げていく予感がする。 世のあちこちで、ますます拘束が強くなっていくだろういま、非力な私ができることといえば、己を見失ない、流されてしまわないよう、 目前の世界に直接向き合っている、この我が心身の規矩、位を、しっ…

近年ふるさとの古武道、古武術に、様々な方々が関心を持ち、参加してくれるようになった。特に若い学生さん達が真剣に稽古されるようになった。大変喜ばしい。我が家だけで稽古していた幼い頃からすれば、隔世の感がある。様々なご縁をいただくなかから、私…

刀はそれを帯びる者、操る者の心身を整えてくれる。何も「人間形成の道である」という近代の観念論ではない。それは私も実感がない。そうではない。拙い我が稽古を通じた肉体の実感そのものだ。おそらくこれは、やってみればどなたでも、すぐに感じられるこ…

最近、再びランニングを始めている。いまから陸上競技を目指しても無理で、単なる健康法や気分転換にしかならない。それでも、天変地異が連続している現代では、整地やアスファルト上での走りや歩行に習熟するよりも、どこでも場所を選ばず、息長く走り、歩…

我々の一般的な稽古では、あらかじめ武具の、心身の扱い方に「正しい基本」や「正解」があり、固定してしまっている。古流も、近代現代武道も。「正解」にはそれなりの意義と実績があり、我々を安心させてくれるが、本来、これほど複雑かつ多様な現実世界で…

連休中いろんなことがある。まずは忍者ブームのこと。ある大学から旧弘前藩の忍者のことを尋ねられた。この津軽でも忍者の実像は全く不明であり、一般市民の間でも、風呂敷をかぶって走り回るような通俗的イメージしか残っていない。しかし実際には当藩にお…

古流武術において「外之物」「外物」(とのもの)とは、他流から導入した技や、日常の護身術や知識などのことを意味することが多い。特に日常の護身術や知識については、近代以降、歴史小説などが注目して題材に取り上げることはあっても、武術・武道修行者…

美術工芸品としての刀剣は好きだが、その武具としての操作方法に全く関心がないうえに、その操法に習熟した武芸者をさげずむ方もいるようだ。先日も、美術工芸品としての刀剣知識に精通し、多くの貴重刀剣を所有、管理していることにかなりの誇りを覚えてい…

久しぶりに旧弘前藩の名流、當田流の絵伝書を拝見した。M先生の知人宅で発見されたものだという。いまでも津軽では、旧家から藩政時代の武芸伝書が出てくることが少なくない。我が父祖たちも当初は當田流の剣と棒をやっていた。しかし17世紀後半、弘前藩家老…

津軽にも春が来た。当会では、最も熱心に稽古されていた学生S氏が、社会人となって旅立っていった。また当会を様々な場面で暖かく支えてくれた警察SPのO氏もご栄転となられた。大変寂しくなるが、お二人のご多幸と、新天地でのますますのご活躍をお祈り申し…

他人まかせで、己の生身の身体から離れた理合。全国組織の中枢に提示されたものが唯一の「伝統」「正しさ」だと絶対視、権威化し、盲目的にひたすら繰り返すだけが「美徳」である。となれば、個別の事情が異なる、ひとりひとりの心身が壊れていくのは当たり…

どうしてこんなに日本刀の文化は狭くなったのか、と思うことがある。確かに日本刀は、武具としての歴史的役割を終えたから、美術品として認識するしかない。すると、その操作法を知らずとも「オレの美術刀剣鑑賞眼こそ一番だ」「よってオレこそ日本刀のすべ…

5年前のあの日も、薄っすらと雪が降る寒い日だった。2011年3月11日、東日本大震災の朝、わたしは岩手県遠野市へと移動していた。前日、新潟県長岡市の博物館で中越地震の体験談を聞いていた。その夜は、重い雪が降っていたが、まさか翌日自らも被災…

様々な武道、武種がそれぞれの垣根を超えて集まる合同演武大会がある。全国的にも珍しく画期的な大会だ。武の有り様がひとつではないこと、人間の身体文化の多様性、豊かさに気づかせてくれる。企画者には敬服する。だが、いろんな意見もあるようだ。「全国…

「刀剣ツアーin青森」。皆さまにお助けいただきながら、盛会のうちに終わった。県内外から約30名の申込みがあり、そのなかから20名の女性にご参加いただいた。深く感謝申し上げます。初日は刀匠の工房で、美術工芸品としての刀剣に触れたそうだ。二日目は当…