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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

久しぶりに旧弘前藩の名流、當田流の絵伝書を拝見した。M先生の知人宅で発見されたものだという。いまでも津軽では、旧家から藩政時代の武芸伝書が出てくることが少なくない。我が父祖たちも当初は當田流の剣と棒をやっていた。しかし17世紀後半、弘前藩家老…

津軽にも春が来た。当会では、最も熱心に稽古されていた学生S氏が、社会人となって旅立っていった。また当会を様々な場面で暖かく支えてくれた警察SPのO氏もご栄転となられた。大変寂しくなるが、お二人のご多幸と、新天地でのますますのご活躍をお祈り申し…

他人まかせで、己の生身の身体から離れた理合。全国組織の中枢に提示されたものが唯一の「伝統」「正しさ」だと絶対視、権威化し、盲目的にひたすら繰り返すだけが「美徳」である。となれば、個別の事情が異なる、ひとりひとりの心身が壊れていくのは当たり…

どうしてこんなに日本刀の文化は狭くなったのか、と思うことがある。確かに日本刀は、武具としての歴史的役割を終えたから、美術品として認識するしかない。すると、その操作法を知らずとも「オレの美術刀剣鑑賞眼こそ一番だ」「よってオレこそ日本刀のすべ…

5年前のあの日も、薄っすらと雪が降る寒い日だった。2011年3月11日、東日本大震災の朝、わたしは岩手県遠野市へと移動していた。前日、新潟県長岡市の博物館で中越地震の体験談を聞いていた。その夜は、重い雪が降っていたが、まさか翌日自らも被災…

様々な武道、武種がそれぞれの垣根を超えて集まる合同演武大会がある。全国的にも珍しく画期的な大会だ。武の有り様がひとつではないこと、人間の身体文化の多様性、豊かさに気づかせてくれる。企画者には敬服する。だが、いろんな意見もあるようだ。「全国…

「刀剣ツアーin青森」。皆さまにお助けいただきながら、盛会のうちに終わった。県内外から約30名の申込みがあり、そのなかから20名の女性にご参加いただいた。深く感謝申し上げます。初日は刀匠の工房で、美術工芸品としての刀剣に触れたそうだ。二日目は当…

その土地ごとの地勢や風景があり、そのなかで熟成された方言、食べ物、祭り、暮らしの姿があり、それらの個性が讃えられる。しかし武術・武道については、そうではないようだ。その土地ごとの歴史的個性、独自の技法をかなぐり捨て、全国統一のスタイルへと…

昨日のことだ。古代の鬼が打ったという、伝説の刀に触れた。その神社は霊山の奥地にある。実名は言えない。その霊山信仰が発祥した地だとされ、それを裏付けるかのように,境内からは縄文土器や土師器が出土する。近世には、代々の藩主たちも崇敬してきたとい…

わたしは、なんのために家伝剣術をやっているのか。強くなるためか。いや、そればかりが目的ではない。刀がない現代社会に応じた即物的な強さを求めるならば、旧時代の剣技より、もっとふさわしい武種があるだろう。名誉のためか。いや、先祖達が旧藩剣術指…

武道史研究では「戦国末期に生まれた武芸流派は、平和な近世において実戦経験を失い、形をなぞるだけの華法剣法と化した」とよく説明する。本当だろうか。実例で疑義を呈したい。江戸時代から近代まで数百年間、津軽地方各地には「喧嘩ねぷた」「ねぷた喧嘩…

日本武道館で第39回日本古武道演武大会が開催され、父とともに家伝剣術で出場した。当流はマイナー流儀のため、毎年ではなく、2年に一度しかお声がかからない。しかも海外派遣も、いつも同じ流派がローテーションし、当流には永遠に回ってこない。よって隔…

先週、都内を移動中「今日は本当に寒い」と嘆くサラリーマンと何度かすれ違った。しかし「北方の蛮族」である我々にとっての東京は、本当に暖かかった。桜が咲く季節を思った。「ここで生きたら長生きできるだろうな」と。帰ってきた津軽も暖冬で、例年にく…

今回の「林崎新夢想流居合研究稽古会」では、林崎の居合を共通話題として、北海道、青森、群馬、栃木、首都圏各地、広島、熊本、福岡など全国各地から、全く体系や勝敗の価値観が異なる各ご流儀が集まる場となった。 あっという間に会場が満杯となった。入り…

武術、武道には、いろんな伝承の在り様がある。 全国各地の道場やスポーツセンターでも習えるものもあれば、家伝剣術や林崎新夢想流居合のように、各家や地域で黙々と伝承されてきて、公的にはリストアップされていないマイナーな武の伝承がある。(さらに全…

新年からいろいろ忙しい。こんなにつましい我が人生でさえ、やらなくてはならないことが次から次へと出てくる。若い頃のように己ひとりのことだけ考えているわけにはいかない。家族や一族のことも大事にしながら、己の仕事も研究も稽古もやるのだ。面倒だと…

実家で毎年恒例の餅搗き。 (だたぢ12月29日だけは「九日餅」と言って「苦」につながるから餅搗きを避け、違う日にするのは日本各地の習俗と同じだ。)まずは、台所にある古いレンガ造りのカマドに、水を入れた鍔釜と、水に浸した餅米を入れた蒸籠をすえる。…

昨日書いた、日本刀の特徴的構造と、それを操る者との心身の連関について、さらに拙い推測を付け足す。 日本刀は点(切っ先)と面(刃部)で構成されている。 切っ先は攻めに、刃部は攻めだけではなく防御にも機能するから、日本刀は自ずと攻防一致の器とな…

来年夏以降、刀剣に関する特別展をやりたくて、いろいろ草案を練っている。 これを機会に、日本刀とその文化について、構造や製作過程、鑑賞法、成立と歴史的変遷過程、現在の社会的状況までとことん再勉強するぞ。 まずは、日本刀の成立史について、考古学…

正面を向き合い、ノーガードで思い切り打ち合い、接触の速さ競うこと。 競技としては意味があるのだろうが、実際の武技としては問題が多い。 なぜならば、それは刀の怖さを、生身の肉体のもろさを知らないからこその行為だからだ。 また、しっかりと打突しよ…

素朴かつささやかで、全く手応えがない家伝剣術一本目の稽古。 現代では全く評価されない動きだが、やるたびに多くの気づきをもらう。 日々、過去の、歴史の「前例」に拘泥し、これからの「計画」に迷っている私は、 実は目の前の現実を見誤っているのではな…

お陰様で弘前城跡での「卜傳流 武士育成ツアー」が終わった。 主催たびすけ社をはじめとして関係各位には深く感謝申し上げる。 私は本当に拙い講師であったが、国内外から参加者していただいた方々にとっては、普段体験したことがない珍しい内容であり、楽し…

暮らしのなかのなにげない行動を取り上げ「法的にNGか」という言い方が流行している。 確かに社会の一員として、法律を遵守することは必要である。 だが逐一、日常のふるまいひとつひとつが、法に合っているかどうかチェックしないと生きていけない、という…

近年は、われわれ日本人の暮らしのなかにイスやソファ、テーブルが多くなり、往時のように板の間や畳のうえで起居する生活が少なくなった。 私は後者の暮らしで育った。学校ではイスだが、家ではいつも正座で食事をしていた。 いまでもソファに違和感がある…

巨石信仰のフィールドワーク調査。 ここ数日間、ひと気のない山中を歩いている。 たいがいは、廃れてしまった山中の小祠や神社の跡を巡るので、往時の街道は山野に還りかけている。 途中でクルマを乗り捨て、道なき道を、泥道を、繁みのなかを、小川のなかを…

「全国古流武術フォーラム2015」が終わってホッとする間もなく、 10月4日(日)茨城県鹿島神宮で行われる「鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」出場にむけ、父と木刀で家伝剣術切組(組太刀)の稽古。 昨年と同じレベルのままで情けなや、少しでも上達した…

「全国古流武術フォーラム2015―林崎甚助の居合を探る―」が盛会のうちに終了した。 日本各地の各古流武術流派との技術交流、研鑽の場を創造することが一番の目的だ。 大会でご提示した弘前藩の林崎新夢想流居合は、決して「正解」ではなく、交流のためのきっ…

様々な意見を受容し、強制することなく、いかに新しい合意と知見を生み出していくのか。 という、非常に面白いファシリテーションのワークを学んだ。 「正解」のない会議の結論は出るのか。不安でたまらない参加者もおり、講師から「みなさん、「正解を出そ…

林崎新夢想流居合「向身」三本目「防身(ふせぎみ)」 この技名は形のなかで使う、当流独特の構え「防身」に由来していると思われる。 まず、いつものように打太刀は正座して、九寸五分の短刀を帯びている。 仕太刀は三尺三寸の大刀を帯びている。打太刀に向…

林崎新夢想流居合「向身」二本目の「押抜」 まずは、なぜこの技名が「おしぬき」なのかわからない。 名前はその技の要素を意味しているだろうから、理解できていない私は「まだまだだ」ということだ。 現在の稽古段階を報告する。 一本目と同様、打太刀は正…

地元の旅館のご紹介で、北辰堂へ外国の方が見学にこられた。 スウェーデンとデンマークの男女だ。弘前でサムライの文化や技芸を見たいということらしい。 確かにこの城下町に来て「津軽の文化」といっても、ネプタや津軽三味線などの民衆文化、近代の洋風建…

道具にはそれぞれの特性がある。 だから自ずと導かれる心身もそれに規定されてくる。 やはり剣の道を学ぶならば、実際の刀剣がどのようなものなのか知らなくてはならない。 剣を規矩として、心身を構築するから剣の道であり、 竹刀を規矩とすれば竹刀の道と…

家伝剣術や林崎新夢想流居合の稽古は、本当によく日常生活につながるなあ。 10代、20代の頃は、ガンガン体力にまかせて、猛稽古をするほど「生きている実感」があった。それが稽古だと確信していた。それをやらないと自分の存在が希薄になってしまうような焦…

林崎新夢想流居合「向身」七本をおさらい。 打太刀に向かって歩いていき、何も考えずにフッと扶据(ふきょ)に座った瞬間が、実は、身体各部が無理なく自然につながった開き、最も動けそうな感じになる。 まるで、空中から落として、自然に展開してカタチを…

各種スポーツ団体や学校部活動がどうしても陥ってしまう状況について。 指導時間が限られているから、なかなかマンツーマン指導ができない。 一方で、団体としての立派な業績を打ち出していかなくては人が集まらない。経営が成り立たない。 よって効率的な方…

最近、休日の夕方には弘前公園をランニングしている。 軽いペースで4キロくらいか。自由稽古、地稽古のための体力作りになるかと。 なにも考えずに走るのは楽しいなあ。 ここには旧弘前藩の城跡だ。 近世初頭まで先祖達は城内に住んでいた。そして代々登城…

試合で勝ちたい、憎いライバルを凌駕したい、などとという情熱は、確かに稽古を進ませる。 だが稽古とは、いつも相手をしてくれる人がいるとは限らない。 また、己が何のために稽古しているか、という目的のベースが、憎いライバルの存在そのものに依存して…

伝統の世界では、記念誌などを作ると、恩師の思い出と素晴らしさを語り、その教えを全く疑わず、絶対にその矩(のり)を越えず、ひたすら己の不徳さを述べるような文章を書かれる方が多い。 それはそれで美しいひとつの生き方である。 だがどうやら私は違っ…

先日、「こうきたら、こう返せ」とやっている指導風景を見て、競技としての武と、そうではない武の本質的な違いを改めて教えられた。 「こうきたら」という入力も「こう返せ」という出力も、ともに一定のルール、枠組みのなかで成立している行為であり、いく…

当会の中心的な存在K氏が、札幌へ御栄転となった。 ふだんのK氏は、某国営放送に勤務する、温厚で紳士的なアナウンサーだ。毎日のようにテレビでニュースを読まれている。 しかし実は彼は、幼い頃から空手を修業され、フルコンタクト各流派、キックボクシ…

K先輩のお導きで、インディペンデント・ダンスアーティスト加藤範子氏(http://www.norikokato.com/)とお会いした。国内のみならず海外でも活躍されている高名な方だ。 よく、ダンサーの身体能力は凄いといわれる。 古武術でも、屈強な男性よりも、舞を習…

剣を構える。 相手の様子から戦略を練り、対象物との接触点をイメージして間合いを詰めていく。 しかし相手には意志がある。 こちらの存在を感知し、こちらが関与することで、すぐさま変化する。 するとそれを感じた我も変化してしまう。 変化の連鎖と応酬へ…

青年時代に「強さ」を求めて互いに切磋琢磨、稽古することは必要な修行過程だ。 この拙い私でさえ、そう希求していた。 だが、その「強さ」の内容が、いつまでも他人との比較にこだわり続け、老年まで全く変わらなかった場合どうだろう。 居着いたその、己の…

昨日は、わが実家の庭で、毎年恒例の抜刀(試し斬り)稽古およびバーベキュー大会であった。 修武堂メンバーだけではなく、弘前大学古武術研究会や居合道の学生諸君など総勢約20数名が集まり、賑やかだった。 畳表を巻いたものや、なかに真竹を仕込んだ巻き…

17世紀の佚斎樗山が著した有名な武道書「天狗芸術論」を再読。 その内容には、具体的な技の説明がなく、精神面だけを扱っているのだ、とよく言われる。はたしてそれだけだろうか。 10代の頃の私も、難解な観念論のみで参考にならない本だと決めつけてい…

今年も、満開の弘前公園の桜が、実家庭の桜が、風に吹かれて散っていく。 毎年、早く桜が咲かないかなと待ち、 咲けば、そのまま長く咲いていればいいと願い、 散り始めれば、それが止まってほしいと願う己。 この時期、多くのカメラマンがやってくるが、も…

4月はいろんな行事が多かった。 まずは中学へ進学した息子が、剣道部に入った。 わたしのときと全く違うのは「親に強制されて」ではなく、自ら進んで入部したこと、稽古が「楽しい」ということだ。 この姿勢の違いは重要だ。その後の展開が全く違ってくるだ…

「重くて不自由な甲冑を着たら、動けなくなるし、走れなくなる。」「その重さゆえ、低い腰になるのだ。」という言説があるが、はたしてそうだろうか。 もしかすればそのような言説は、全く実体験がないか、体験があっても甲冑と自分の身体がバラバラであるゆ…

東日本大震災の2011年3月11日から4年がたった日、 私はたまたま資料調査で、閉館となった某博物館内の暗闇を歩いていた。 あの日も雪だった。岩手県遠野で被災し、避難所をはしごしながら、歩いて帰ってきたのが昨日のことのようだ。永遠に忘れることはない…

一体あれは、これはどうなるのかと、焦り、不安になるのは、 目の前の現象を、何か既存のカタチや計画へと、無理やりなぞらえて安心を獲得しようとあがくからだ。 だが実は、いまこの瞬間、私向き合わされている現前の現象に先例などないのだろう。 これは初…