読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

昨日の修武堂稽古。 みんなで家伝の卜傳流剣術と、林崎新夢想流合を稽古した。 家伝剣術は小太刀をやった。 たいがい古流剣術には、小太刀の技法がセットで伝承されている。 だがスポーツチャンバラ等の打ち合いで、短い小太刀で大太刀に対抗するのは至難の…

難解な古伝の形。まるで、身体と五感で解いていく謎かけパズルだ。 単に根性でカタチを繰り返しても見えてこない。 所作をなぞるなかから生じる違和感がヒントだ。 それを楽しめば、道場だけではなく、日常生活のなかでもいろんな気づきが浮かぶ。 長い模索…

稽古で「正しさ」を繰り返すことは大事だが、問題もある。 すなわち「正しさ」「先生の教え」に囚われすぎ、順守することで安心してしまうと、 精妙に生きている己の心身にブレーキをかけ、固着させてしまうことがある。 「正しい歩き方」「正しい話し方」だ…

武の稽古には、その人なりの世界への向き合い方が、如実に現れることが多い。 これはつくづく、私自身の深い反省である。 往々にして、ものごとに出会った瞬間、己のクセによる先入見、または誰かにもらった既製の視点でとらえてしまう。 ことに武はその特性…

家伝の卜傳流剣術「裏」四本目は玄妙だ。本当によくできているがよくわからない。 昨日の修武堂定例稽古では、家伝剣術大太刀「表」五本から「裏」五本を皆さんで一緒に稽古した。 その説明で、また私が間違えた。 先日以来、左肩を痛めたうえに、風邪でフラ…

家伝卜傳流剣術「変形(へんぎょう)」はまことに不思議だ。 その名のとおり、まさに変形、異形の技だ。なかでも三本目は全く不明だった。 しかし昨夜、いつものように居間で、袋竹刀を振っていたら、次々面白いことが見えてきた。 試しに、剣道部帰りの愚息…

剣道部稽古から帰ってきた息子が「木刀による剣道基本技稽古法」DVDを見ている。 この形は、平成になって「竹刀は日本刀であるという観念を理解させ、日本刀に関する知識を養う」ために制定されたという。 しかし、あくまで私見だが、あの形の構造は、中近世…

流行のメンタル・トレーニングをやっている方がいた。 よくわからないが、ときどき禅の公案や武芸伝書で聞いたようなことが出てくる。 きちんとやれば効果はあるのだろう。 しかし中途半端なやり方では「こうすればああなる」と、あたかも人間の心身を単純な…

林崎新夢想流居合。 三尺三寸の長大な刀で稽古した後、常寸刀に持ち替えて家伝剣術をやる。 不思議と自分が変わっているようだ。 いつもの形を遣っても、全く違う姿が出てきたり、いままで気づかなかったことが出てくる。 ところで、愚鈍な私は、いくら懸命…

なぜこんなに林崎新夢想流の形は、所作は、あまりに不可解で難しいのか。 先日も現代武道師範にご覧いただいたら「なんであんなに接近して抜くのか」と不思議がられた。(その理由については何度も説明したからここでは割愛し、10月8日の「全国古流武術フォ…

家伝剣術は、一世紀近く、家人以外にお伝えすることがなかったため、私は「教え方」を知らない。 祖父や父からも、言葉少なく、五歳の頃から、ただカラダで習ったから、どう習ったのかよく覚えていない。 おそらく前近代の武術、技芸はみんなそうだろう。わ…

来る5月20日(金)・21日(土)。東京都内で「第二回 弘前藩伝・林崎新夢想流居合研究稽古会」を開催する。これは今年1月、都内で開催した同研究稽古会の続きだ。(詳細は「弘前藩伝・林崎新夢想流居合研究稽古会」のFacebookをご覧ください)前回は、同居…

うち続く熊本・大分の大地震の甚大さに胸つぶれる。修武堂九州支部長M氏も、熊本でこの大災害と闘っておられるはずだ。皆様のご無事をお祈り申し上げます。一方、我が津軽では暴風雨。方々でサイレンが鳴っている。東日本大震災もそうだったが、なぜ我々はこ…

久しぶりに旧弘前藩の名流、當田流の絵伝書を拝見した。M先生の知人宅で発見されたものだという。いまでも津軽では、旧家から藩政時代の武芸伝書が出てくることが少なくない。我が父祖たちも当初は當田流の剣と棒をやっていた。しかし17世紀後半、弘前藩家老…

津軽にも春が来た。当会では、最も熱心に稽古されていた学生S氏が、社会人となって旅立っていった。また当会を様々な場面で暖かく支えてくれた警察SPのO氏もご栄転となられた。大変寂しくなるが、お二人のご多幸と、新天地でのますますのご活躍をお祈り申し…

先週、都内を移動中「今日は本当に寒い」と嘆くサラリーマンと何度かすれ違った。しかし「北方の蛮族」である我々にとっての東京は、本当に暖かかった。桜が咲く季節を思った。「ここで生きたら長生きできるだろうな」と。帰ってきた津軽も暖冬で、例年にく…

近年は、われわれ日本人の暮らしのなかにイスやソファ、テーブルが多くなり、往時のように板の間や畳のうえで起居する生活が少なくなった。 私は後者の暮らしで育った。学校ではイスだが、家ではいつも正座で食事をしていた。 いまでもソファに違和感がある…

戦国末期の開祖が残したという有名な極意の剣技。 巷間の伝えによれば、遥か昔に失われたとされてきた。 ある人は、それは具体的な技法ではなく、精神論ではないかともいう。 私もいろいろ資料調査をしたがわからず、一生知りえることはないとあきらめていた…

「全国古流武術フォーラム2015」が終わってホッとする間もなく、 10月4日(日)茨城県鹿島神宮で行われる「鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」出場にむけ、父と木刀で家伝剣術切組(組太刀)の稽古。 昨年と同じレベルのままで情けなや、少しでも上達した…

家伝剣術や林崎新夢想流居合の稽古は、本当によく日常生活につながるなあ。 10代、20代の頃は、ガンガン体力にまかせて、猛稽古をするほど「生きている実感」があった。それが稽古だと確信していた。それをやらないと自分の存在が希薄になってしまうような焦…

打突部位を限定してしまったことは、稽古上の便法であり、競技化と普及のためには効果的であったのだろうが、武技としては課題が生じた。 本来は仮の約束であった打突部位。 それを前提とした竹刀稽古を激しく深く心身に刷り込んでいくと、仮の約束が、いつ…

最近ようやくまたひとつ、気づきはじめたことがある。 形と自由稽古の関連性だ。 いままで「両輪のように大事」とする定説を鵜呑みにし、いまひとつ、己の実感としては、わかっていなかった。 なんのために形があるのだろうか。 ただ自由に打ち合っていれば…

年末から新年にかけて、家族サービスや仕事、大雪との格闘に追われ、まとまった稽古時間がとれなかった。情けない。 私の武が、いかに暮らしに根付いていないかという証拠ではないか。 たとえ試合チャンピオンであろうとも、武道高段者であろうとも、生きて…

先日、剣道師範が指摘された「剣術は形が固定されてしまっているが、剣道は自由に動くから「実戦」なのだ」というご教示について、再考している。 批判に対して怒るのは簡単だ。 だがおそらく、この出来事自体が、私に何かを気づかせようとしているのではな…

居間で木刀を振る。 「剣術は形だけだ。剣道は実戦なのだ。だから両手で構える」と、老剣士はあいかわらず、奇妙な自論を展開されている。 何が「実戦」なのかはともかく。私は、幼い頃から嫌というほどやらされた剣道の地稽古では、なかなか見えなかったた…

弘前の桜も満開となった。 弘前城は一世紀ぶりの石垣修理のため、10年間、現在地から曳屋する。 わたくしもその事業にささやかながら関係しているが「見納め」効果なのか観光客が多い。 城に近い我が実家の桜の下、毎年恒例の修武堂抜刀(真剣試し斬り)稽古…