古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

家伝剣術,形

伝説では、塚原卜傳と林崎甚助のふたりの剣豪は、互いに交流があったという。 それが本当ならば、彼らが残した剣技も、具体的に共通する術理があったはずだ。 例えば、山形県で林崎夢想流居合を伝承されていた故奥山観禅宗家は、両雄をつなぐ具体的な技法を…

形とは何か。なぜ必要なのか。 わが家にも中近世以来の素朴な形がある。 己の好き嫌いを言えず、淡々と継承してきた。 亡き祖父は、明治末期に、卜傳流剣術を代々伝えてきた一族の長男として生まれた。 少年期には、旧藩の各武芸師範達や戊辰戦争を体験した…

家伝の卜傳流剣術の小太刀稽古は、仕太刀(弟子側)が構えを打たれることから始まる。 なぜだろう。 剣道や剣術の地稽古では、間合いに入るや否や、ドンドン打っていく方が気持ちがいいし、技が伸びやすい。 幕末以降そのようなシナイ打ち込み稽古が流行した…

小太刀から剣理をとらえなおす。 たったひとつの武具だけではなく、様々な武具でも稽古することが、新しい視座につながる。 例えば小太刀。 古い形を、表演用や精神論、儀礼や有職故実のひとつとして伝承する方法もある。 だが、わたしはそれだけでは退屈で…

昨日の修武堂稽古。 みんなで家伝の卜傳流剣術と、林崎新夢想流合を稽古した。 家伝剣術は小太刀をやった。 たいがい古流剣術には、小太刀の技法がセットで伝承されている。 だがスポーツチャンバラ等の打ち合いで、短い小太刀で大太刀に対抗するのは至難の…

難解な古伝の形。まるで、身体と五感で解いていく謎かけパズルだ。 単に根性でカタチを繰り返しても見えてこない。 所作をなぞるなかから生じる違和感がヒントだ。 それを楽しめば、道場だけではなく、日常生活のなかでもいろんな気づきが浮かぶ。 長い模索…

稽古で「正しさ」を繰り返すことは大事だが、問題もある。 すなわち「正しさ」「先生の教え」に囚われすぎ、順守することで安心してしまうと、 精妙に生きている己の心身にブレーキをかけ、固着させてしまうことがある。 「正しい歩き方」「正しい話し方」だ…

武の稽古には、その人なりの世界への向き合い方が、如実に現れることが多い。 これはつくづく、私自身の深い反省である。 往々にして、ものごとに出会った瞬間、己のクセによる先入見、または誰かにもらった既製の視点でとらえてしまう。 ことに武はその特性…

家伝の卜傳流剣術「裏」四本目は玄妙だ。本当によくできているがよくわからない。 昨日の修武堂定例稽古では、家伝剣術大太刀「表」五本から「裏」五本を皆さんで一緒に稽古した。 その説明で、また私が間違えた。 先日以来、左肩を痛めたうえに、風邪でフラ…

家伝卜傳流剣術「変形(へんぎょう)」はまことに不思議だ。 その名のとおり、まさに変形、異形の技だ。なかでも三本目は全く不明だった。 しかし昨夜、いつものように居間で、袋竹刀を振っていたら、次々面白いことが見えてきた。 試しに、剣道部帰りの愚息…

剣道部稽古から帰ってきた息子が「木刀による剣道基本技稽古法」DVDを見ている。 この形は、平成になって「竹刀は日本刀であるという観念を理解させ、日本刀に関する知識を養う」ために制定されたという。 しかし、あくまで私見だが、あの形の構造は、中近世…

流行のメンタル・トレーニングをやっている方がいた。 よくわからないが、ときどき禅の公案や武芸伝書で聞いたようなことが出てくる。 きちんとやれば効果はあるのだろう。 しかし中途半端なやり方では「こうすればああなる」と、あたかも人間の心身を単純な…

林崎新夢想流居合。 三尺三寸の長大な刀で稽古した後、常寸刀に持ち替えて家伝剣術をやる。 不思議と自分が変わっているようだ。 いつもの形を遣っても、全く違う姿が出てきたり、いままで気づかなかったことが出てくる。 ところで、愚鈍な私は、いくら懸命…

なぜこんなに林崎新夢想流の形は、所作は、あまりに不可解で難しいのか。 先日も現代武道師範にご覧いただいたら「なんであんなに接近して抜くのか」と不思議がられた。(その理由については何度も説明したからここでは割愛し、10月8日の「全国古流武術フォ…

家伝剣術は、一世紀近く、家人以外にお伝えすることがなかったため、私は「教え方」を知らない。 祖父や父からも、言葉少なく、五歳の頃から、ただカラダで習ったから、どう習ったのかよく覚えていない。 おそらく前近代の武術、技芸はみんなそうだろう。わ…

来る5月20日(金)・21日(土)。東京都内で「第二回 弘前藩伝・林崎新夢想流居合研究稽古会」を開催する。これは今年1月、都内で開催した同研究稽古会の続きだ。(詳細は「弘前藩伝・林崎新夢想流居合研究稽古会」のFacebookをご覧ください)前回は、同居…

うち続く熊本・大分の大地震の甚大さに胸つぶれる。修武堂九州支部長M氏も、熊本でこの大災害と闘っておられるはずだ。皆様のご無事をお祈り申し上げます。一方、我が津軽では暴風雨。方々でサイレンが鳴っている。東日本大震災もそうだったが、なぜ我々はこ…

久しぶりに旧弘前藩の名流、當田流の絵伝書を拝見した。M先生の知人宅で発見されたものだという。いまでも津軽では、旧家から藩政時代の武芸伝書が出てくることが少なくない。我が父祖たちも当初は當田流の剣と棒をやっていた。しかし17世紀後半、弘前藩家老…

津軽にも春が来た。当会では、最も熱心に稽古されていた学生S氏が、社会人となって旅立っていった。また当会を様々な場面で暖かく支えてくれた警察SPのO氏もご栄転となられた。大変寂しくなるが、お二人のご多幸と、新天地でのますますのご活躍をお祈り申し…

先週、都内を移動中「今日は本当に寒い」と嘆くサラリーマンと何度かすれ違った。しかし「北方の蛮族」である我々にとっての東京は、本当に暖かかった。桜が咲く季節を思った。「ここで生きたら長生きできるだろうな」と。帰ってきた津軽も暖冬で、例年にく…

近年は、われわれ日本人の暮らしのなかにイスやソファ、テーブルが多くなり、往時のように板の間や畳のうえで起居する生活が少なくなった。 私は後者の暮らしで育った。学校ではイスだが、家ではいつも正座で食事をしていた。 いまでもソファに違和感がある…

戦国末期の開祖が残したという有名な極意の剣技。 巷間の伝えによれば、遥か昔に失われたとされてきた。 ある人は、それは具体的な技法ではなく、精神論ではないかともいう。 私もいろいろ資料調査をしたがわからず、一生知りえることはないとあきらめていた…

「全国古流武術フォーラム2015」が終わってホッとする間もなく、 10月4日(日)茨城県鹿島神宮で行われる「鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会」出場にむけ、父と木刀で家伝剣術切組(組太刀)の稽古。 昨年と同じレベルのままで情けなや、少しでも上達した…

家伝剣術や林崎新夢想流居合の稽古は、本当によく日常生活につながるなあ。 10代、20代の頃は、ガンガン体力にまかせて、猛稽古をするほど「生きている実感」があった。それが稽古だと確信していた。それをやらないと自分の存在が希薄になってしまうような焦…

打突部位を限定してしまったことは、稽古上の便法であり、競技化と普及のためには効果的であったのだろうが、武技としては課題が生じた。 本来は仮の約束であった打突部位。 それを前提とした竹刀稽古を激しく深く心身に刷り込んでいくと、仮の約束が、いつ…

最近ようやくまたひとつ、気づきはじめたことがある。 形と自由稽古の関連性だ。 いままで「両輪のように大事」とする定説を鵜呑みにし、いまひとつ、己の実感としては、わかっていなかった。 なんのために形があるのだろうか。 ただ自由に打ち合っていれば…

年末から新年にかけて、家族サービスや仕事、大雪との格闘に追われ、まとまった稽古時間がとれなかった。情けない。 私の武が、いかに暮らしに根付いていないかという証拠ではないか。 たとえ試合チャンピオンであろうとも、武道高段者であろうとも、生きて…

先日、剣道師範が指摘された「剣術は形が固定されてしまっているが、剣道は自由に動くから「実戦」なのだ」というご教示について、再考している。 批判に対して怒るのは簡単だ。 だがおそらく、この出来事自体が、私に何かを気づかせようとしているのではな…

居間で木刀を振る。 「剣術は形だけだ。剣道は実戦なのだ。だから両手で構える」と、老剣士はあいかわらず、奇妙な自論を展開されている。 何が「実戦」なのかはともかく。私は、幼い頃から嫌というほどやらされた剣道の地稽古では、なかなか見えなかったた…

弘前の桜も満開となった。 弘前城は一世紀ぶりの石垣修理のため、10年間、現在地から曳屋する。 わたくしもその事業にささやかながら関係しているが「見納め」効果なのか観光客が多い。 城に近い我が実家の桜の下、毎年恒例の修武堂抜刀(真剣試し斬り)稽古…