古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

家伝剣術

「剣術は形ばかりで、剣道のように打ち合わないでしょう」と言われることがある。そのイメージはやはり、剣術が廃れ、その実態がわからなくなった近代以降の勘違いではないか。刃引きや木刀でわかることもあれば、シナイだからこそわかる稽古もある。よって…

その土地ごとの地勢や風景があり、そのなかで熟成された方言、食べ物、祭り、暮らしの姿があり、それらの個性が讃えられる。しかし武術・武道については、そうではないようだ。その土地ごとの歴史的個性、独自の技法をかなぐり捨て、全国統一のスタイルへと…

六尺三寸の長い棒術の次は、短い小太刀の稽古を楽しんでいる。先日「(家伝剣術は)強くなるためだけではない。刀がない現代社会に応じた即物的な強さを求めるならば、旧時代の剣技より、もっとふさわしい武種がある。」としたが、それでも、かかる火の粉は…

わたしは、なんのために家伝剣術をやっているのか。強くなるためか。いや、そればかりが目的ではない。刀がない現代社会に応じた即物的な強さを求めるならば、旧時代の剣技より、もっとふさわしい武種があるだろう。名誉のためか。いや、先祖達が旧藩剣術指…

武道史研究では「戦国末期に生まれた武芸流派は、平和な近世において実戦経験を失い、形をなぞるだけの華法剣法と化した」とよく説明する。本当だろうか。実例で疑義を呈したい。江戸時代から近代まで数百年間、津軽地方各地には「喧嘩ねぷた」「ねぷた喧嘩…

日本武道館で第39回日本古武道演武大会が開催され、父とともに家伝剣術で出場した。当流はマイナー流儀のため、毎年ではなく、2年に一度しかお声がかからない。しかも海外派遣も、いつも同じ流派がローテーションし、当流には永遠に回ってこない。よって隔…

今回の「林崎新夢想流居合研究稽古会」では、林崎の居合を共通話題として、北海道、青森、群馬、栃木、首都圏各地、広島、熊本、福岡など全国各地から、全く体系や勝敗の価値観が異なる各ご流儀が集まる場となった。 あっという間に会場が満杯となった。入り…

武術、武道には、いろんな伝承の在り様がある。 全国各地の道場やスポーツセンターでも習えるものもあれば、家伝剣術や林崎新夢想流居合のように、各家や地域で黙々と伝承されてきて、公的にはリストアップされていないマイナーな武の伝承がある。(さらに全…

青森県内の各集落では、現在でも生活のなかでシャマニズムが伝承されている。岩木山赤倉沢では、近代以前から鬼神を信仰する巫者達が活動している。学生時代フィールドワークに入ったとき、女性信者達が「いっしん!(一心)」と唱えながら修行していたのを…

実家で毎年恒例の餅搗き。 (だたぢ12月29日だけは「九日餅」と言って「苦」につながるから餅搗きを避け、違う日にするのは日本各地の習俗と同じだ。)まずは、台所にある古いレンガ造りのカマドに、水を入れた鍔釜と、水に浸した餅米を入れた蒸籠をすえる。…

おそらく我々には、恐ろしいほどの固定観念がある。 それがいろんな理合を見えなくさせている。私もだ。 なぜ、林崎新夢想流居合は、もっと遠間から斬りつけることをしないのか、 というご質問をよくいただく。 自然な疑問だ。 確かに一般的な居合はみんな、…

よく林崎系統の居合伝書は「右膝を規矩とする」という。 もしかするとそれは、抜刀時だけではなく、納刀においても同様なのではないか。 いや、居合だけではない、剣術にもいえるのではないか。 我が家では、近世から近代にかけて二百数十年間、家伝剣術と林…

このたび、東京で弘前藩伝の林崎新夢想流居合(はやしざきしんむそうりゅういあい)の研究稽古会を開催する。 古武術是風会および日本武道文化研究所・居合文化研究会ご一同のお導きに深く感謝したい。 さて、いつもならば我が青森県は、全国的な武術・武道…

昨日書いた、日本刀の特徴的構造と、それを操る者との心身の連関について、さらに拙い推測を付け足す。 日本刀は点(切っ先)と面(刃部)で構成されている。 切っ先は攻めに、刃部は攻めだけではなく防御にも機能するから、日本刀は自ずと攻防一致の器とな…

来年夏以降、刀剣に関する特別展をやりたくて、いろいろ草案を練っている。 これを機会に、日本刀とその文化について、構造や製作過程、鑑賞法、成立と歴史的変遷過程、現在の社会的状況までとことん再勉強するぞ。 まずは、日本刀の成立史について、考古学…

正面を向き合い、ノーガードで思い切り打ち合い、接触の速さ競うこと。 競技としては意味があるのだろうが、実際の武技としては問題が多い。 なぜならば、それは刀の怖さを、生身の肉体のもろさを知らないからこその行為だからだ。 また、しっかりと打突しよ…

素朴かつささやかで、全く手応えがない家伝剣術一本目の稽古。 現代では全く評価されない動きだが、やるたびに多くの気づきをもらう。 日々、過去の、歴史の「前例」に拘泥し、これからの「計画」に迷っている私は、 実は目の前の現実を見誤っているのではな…

お陰様で弘前城跡での「卜傳流 武士育成ツアー」が終わった。 主催たびすけ社をはじめとして関係各位には深く感謝申し上げる。 私は本当に拙い講師であったが、国内外から参加者していただいた方々にとっては、普段体験したことがない珍しい内容であり、楽し…

博物館展示作業。終日、大工仕事で体を動かしていると、いろんなことに気づかされる。 いろんな先入観で、剣技が見えなくなる。 以下は当たり前のことを再録。 何度もいうが打突とは、必ずしも「相手の身体を打つこと」ばかりではない。 それでは命がなんぼ…

巨石信仰のフィールドワーク調査。 ここ数日間、ひと気のない山中を歩いている。 たいがいは、廃れてしまった山中の小祠や神社の跡を巡るので、往時の街道は山野に還りかけている。 途中でクルマを乗り捨て、道なき道を、泥道を、繁みのなかを、小川のなかを…

古武術を、単なる「骨董品」ではなく、技が使えるかどうか、「生きた存在」として稽古するためには。 技が多いか格好いいかではない。 いかに歴史が古いか、いかに権威があり門弟が多いかでもない。 小さくともかまわない。その土台となる古い身体観、身体の…

定例稽古。 稽古会を主宰していれば、参加者が多いもあれば少ない日もある。 多い日は賑やかでいろんなアイディアや和が生まれるし、少ない日は少人数で細かい術理までじっくりできる。 たまに見える新しい方。一回だけの見学では終わらず、長いご縁が生まれ…

地元の旅館のご紹介で、北辰堂へ外国の方が見学にこられた。 スウェーデンとデンマークの男女だ。弘前でサムライの文化や技芸を見たいということらしい。 確かにこの城下町に来て「津軽の文化」といっても、ネプタや津軽三味線などの民衆文化、近代の洋風建…

道具にはそれぞれの特性がある。 だから自ずと導かれる心身もそれに規定されてくる。 やはり剣の道を学ぶならば、実際の刀剣がどのようなものなのか知らなくてはならない。 剣を規矩として、心身を構築するから剣の道であり、 竹刀を規矩とすれば竹刀の道と…

「現代の古流剣術師範のなかで、現代剣道と地稽古(自由打ち合い稽古)をして、充分に通用する師範はいない」と、ある有名武道師範の著書にあった。 確かにそのような傾向もあろう。だが断定はできない。 卑近な例で我が家のことを。 代々、旧藩の剣術師範だ…

各種スポーツ団体や学校部活動がどうしても陥ってしまう状況について。 指導時間が限られているから、なかなかマンツーマン指導ができない。 一方で、団体としての立派な業績を打ち出していかなくては人が集まらない。経営が成り立たない。 よって効率的な方…

今秋「全国古流武術フォーラム2015-林崎甚助の居合を求めて-」を開催する。 なぜ津軽でこのような大会を開催するのか、不思議に思われる方もいらっしゃるだろう。すこしご説明申し上げたい。 林崎甚助重信とは、戦国末期に、抜刀術、居合を生み出した…

試合で勝ちたい、憎いライバルを凌駕したい、などとという情熱は、確かに稽古を進ませる。 だが稽古とは、いつも相手をしてくれる人がいるとは限らない。 また、己が何のために稽古しているか、という目的のベースが、憎いライバルの存在そのものに依存して…

修武堂の定例稽古。 おなじみの方々とともに学生さん達もおいでになり賑やかだった。 久しぶり道場に入った瞬間、杉材の床が、日々の剣道稽古すり足で、まるでグラインダーをかけたようにボロボロになっていることに驚いた。 そのなかにひとつ、小さな窪みが…

当会の中心的な存在K氏が、札幌へ御栄転となった。 ふだんのK氏は、某国営放送に勤務する、温厚で紳士的なアナウンサーだ。毎日のようにテレビでニュースを読まれている。 しかし実は彼は、幼い頃から空手を修業され、フルコンタクト各流派、キックボクシ…

K先輩のお導きで、インディペンデント・ダンスアーティスト加藤範子氏(http://www.norikokato.com/)とお会いした。国内のみならず海外でも活躍されている高名な方だ。 よく、ダンサーの身体能力は凄いといわれる。 古武術でも、屈強な男性よりも、舞を習…

剣を構える。 相手の様子から戦略を練り、対象物との接触点をイメージして間合いを詰めていく。 しかし相手には意志がある。 こちらの存在を感知し、こちらが関与することで、すぐさま変化する。 するとそれを感じた我も変化してしまう。 変化の連鎖と応酬へ…

<a href="http://www.tabisuke-hirosaki.jp/" data-mce-href="http://www.tabisuke-hirosaki.jp/">たびすけ 介護資格を持つスタッフがいる 青森県弘前市の旅行代理店</a>www.tabisuke-hirosaki.jp 弘前で「たびすけ」社主催の「卜傳流剣術ツアー」が好評のうちに終了した。 参加者が着物または袴姿で帯刀し、武士の礼法と所作で、旧弘前藩の城郭であった史跡弘…

今年も、満開の弘前公園の桜が、実家庭の桜が、風に吹かれて散っていく。 毎年、早く桜が咲かないかなと待ち、 咲けば、そのまま長く咲いていればいいと願い、 散り始めれば、それが止まってほしいと願う己。 この時期、多くのカメラマンがやってくるが、も…

4月はいろんな行事が多かった。 まずは中学へ進学した息子が、剣道部に入った。 わたしのときと全く違うのは「親に強制されて」ではなく、自ら進んで入部したこと、稽古が「楽しい」ということだ。 この姿勢の違いは重要だ。その後の展開が全く違ってくるだ…

3年ぶりに学芸員に復帰した。心機一転、新しいチカラが満ちてくる。 すると、ときを同じくして周囲の方々にもいろんな変化が訪れていることに気づいた。天地、世界が動いているのかな。 ここ一か月、仕事が忙しくてなかなか稽古できなかったが、心身の変容は…

またひとり、当会の中核的存在だったF女史が、津軽を離れることになった。 合気道に優れ、身体の反応が速く、袋竹刀を交えたときには、剣道家とは異なる精妙な手を遣われ、私は大変勉強となった。 仙台に行かれても、我々との武縁は続くはず。新しい天地での…

わたしの剣術は、人を倒すためではないなあ。 剣と己の身体に聴きながら、剣を振ることで、己が清まっていく感じがある。 人が生きるためのシステムが、人より大きくなりすぎて、逆にそれに拘束されてしまって居着き、 しだいに錆びついていく、生物としての…

春は出会いと別れの季節だ。 当会の森井俊和氏は、剣道有段者で直心影流剣術も修め、中国拳法も学ばれている猛者だ。いろんな稽古と活動をご一緒してきたが、このたび九州へご栄転となられた。 大変寂しくなるが、武を稽古している限り、我々との武縁はこれ…

本屋で「月刊秘伝2015年3月号」を立ち読み。 表紙を一枚めくって驚いた。高名な韓氏意拳宗家 韓競辰老師の写真の下に、白い道着で剣を持ち、下手くそな上段をとっている私がいた。 あまりに対照的な姿でお恥ずかしいかぎりだ。 韓老師にはなんどかご指導いた…

「伝統」とは、後世を生きている我々を守り、導く守護天使のような有り難い存在である。 わたしもそこで活かしてもらっている。 しかしややもすれば、己自身で考えることなく、与えられるまま、排他的な「正統性」に依存したがる怠惰な強情をも招く。 それは…

地方はいいところも多いが、やはり狭いところもある。 同調圧力が強い地域で違うことをはじめること、継続していくことは大変なことだ。 多様な価値観が共存している東京にはない、名物「津軽の足引っ張り」もそこかしこからやってきて、己自身の不徳さを知…

一体あれは、これはどうなるのかと、焦り、不安になるのは、 目の前の現象を、何か既存のカタチや計画へと、無理やりなぞらえて安心を獲得しようとあがくからだ。 だが実は、いまこの瞬間、私向き合わされている現前の現象に先例などないのだろう。 これは初…

林崎新夢想流居合の天横一文字から天縦一文字へ、構えが変化するなかで発生する攻防一致の太刀筋。 それが、なにも新しい発見でもなんでもなく、家伝剣術、そして新陰流や鹿島神流など諸流でも当たり前に遣ってきた技法であったことに気づき、まるで新しく発…

本日は久しぶりにみんなで林崎新夢想流居合の稽古。今日は「外物」 その前に、この居合すべての技を通底する所作について。 まずは扶据(ふきょ)という独特の立ち膝。 この座方の精度、整った心身を養うための優れた稽古方法がある。 扶据からの抜刀で、床…

何度も言うが、現代日本において刀剣は、とっくの昔に武器としての実用性を失っている。 武術専門誌でさえ、刀剣のことを「古式ゆかしい武器」と表現するほどだ。 だが道具としての刀剣は、歴史のなかで多様な特性を帯びていたので、 時代も社会も全く変わっ…

「夫れ兵法の要は、心行一致を要とするものなり。近世の剣術、木刀、シナイの軽きをもって、速疾の作りをなし、己に難無くして人に勝たんと欲す。(中略)是は剣術の実にあらず。世人かくの如く奇変を見て、多くはこれを好みとす。これ愚の至りなり。(中略…

何年ぶりにランニングシューズを買ってしまった。でもいいのかな。 己の稽古内容が拙くなってくると、ついつい体力稽古をやりたくなる。 地稽古や乱取り、素振り、筋トレ…。毎夜、弘前公園の闇を走る。 20代、30代の頃ならばそれでよかった。確かに得る…

ここ数日、膝が規矩になるということを感じて、工夫している。 座った林崎新夢想流居合では右膝が、立った家伝剣術では両膝が、それぞれ稽古のなかで所作のメルクマールとして指摘されることが多い。 伝書でも、亡き祖父との稽古でも、いまの父での稽古でも…

袋竹刀で、組太刀と自由稽古の中間のような稽古をする。 つまり一応は形を遣うのだが、使太刀が不充分ならば、打太刀は遠慮なく打ち込んでしまう。 (特に手指が怪我するので、簡単な手袋や小手ぐらいは着けた方がいいだろう。) 一方、使太刀も、いろいろ変…