古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

家伝剣術

父祖たちが創設した北辰堂道場は、133年目を迎えた。 社会とともに変化してきた道場の式典で、いろいろ考えさせられた。 自分の道は自分の考えで決めたい、と焦るものだが、たいていそうはいかない。 多くの場合、世界の万物は、己の意思にかかわらずに動い…

最近、毎日のように炎天下の弘前公園をランニングしている。 何かあったとき走れる身体、そして地稽古(自由稽古)の体力養成も兼ねて。 照りつける太陽、気温30度越え、体力の消耗は激しく、カラダが重くなっていく。 そうなると翌日も走るのが嫌になって、…

この時代に剣をやることに、何の意味があるのか。 幼い頃からずっと悩んできた。 どの書物にも、どの先生にも納得できなかった。 だから、己の答えは、己で見つけるしかないと。 そのうち、少しさかしくなり、答えらしきものを取り繕うようになった。 それで…

お盆で実家に帰省。 約200坪の庭は、あまり手入れしていないから、様々な高低の植物が生い茂り、よく野鳥もきて、植物園か雑木林のようだ。 新興住宅から見えないので、半裸で素足に草履履きになって、思い切り野稽古。 素振りだけではもったいない。真剣や…

武を、若い頃だけの腕自慢や競技大会の思い出だけで終わらせるのは、もったいない。 生涯をかけて、ココロとカラダを養っていく、深い喜びに、 そして、試合コートや道場より遥かに広い、この日常を生きていく糧とするために。 まずはじめに、我々人間は、体…

住む場所には、何かしらご縁があるものか。 実家の横を小さな用水堰が流れている。 その幅は数メートル。飛び越えた川向いは、故笹森順造師範の生家だ。 また反対側には、同じ小野派一刀流故高杉健吉師範の子孫家がある。 また近くには、家伝剣術および林崎…

我々、武道・武術の修行者は「正しさ」に憧れすぎることがある。 「正しさ」こそ強さだ、段位だと、己の尊厳のもととし、ときにそれに居着いて他人を睥睨(へいげい)してしまう。 さらにロマンとして「城下町だから、武士の街だから、武道の正しい基本をや…

特別展「刀剣魂」が開幕するやいなや、急に引っ越しすることになった。 オール電化、屋内の冷暖房、空調、換気システム、調光、セキュリティのすべてが機械管理。 おそらく現代では一般的な住宅なのだろう。 しかし、旧弘前藩時代からの武家住宅で生まれ育っ…

まるで、少年時代に夢中になったジョン・クリストファーの小説「トリポッド」の冒頭が現実化されていくのを見ているような不安がある。 自分の代わりとなるアイコンが増え、バーチャル空間と現実がますます融合していくいま。 なにが本来なのか、何のために…

世の中はさらに暗く、風雲急を告げていく予感がする。 世のあちこちで、ますます拘束が強くなっていくだろういま、非力な私ができることといえば、己を見失ない、流されてしまわないよう、 目前の世界に直接向き合っている、この我が心身の規矩、位を、しっ…

近年ふるさとの古武道、古武術に、様々な方々が関心を持ち、参加してくれるようになった。特に若い学生さん達が真剣に稽古されるようになった。大変喜ばしい。我が家だけで稽古していた幼い頃からすれば、隔世の感がある。様々なご縁をいただくなかから、私…

刀はそれを帯びる者、操る者の心身を整えてくれる。何も「人間形成の道である」という近代の観念論ではない。それは私も実感がない。そうではない。拙い我が稽古を通じた肉体の実感そのものだ。おそらくこれは、やってみればどなたでも、すぐに感じられるこ…

いよいよ本日5月20日夜、東京での「林崎新夢想流居合研究稽古会」が始まる。近代以降、多くの武道、武術が西欧の合理的思考、競技化のため、整理・変容してきたなか、北奥の津軽で、誰からも注目されることなく、黙々と伝承されていた日本最古級の居合だ。手…

我々の一般的な稽古では、あらかじめ武具の、心身の扱い方に「正しい基本」や「正解」があり、固定してしまっている。古流も、近代現代武道も。「正解」にはそれなりの意義と実績があり、我々を安心させてくれるが、本来、これほど複雑かつ多様な現実世界で…

連休中いろんなことがある。まずは忍者ブームのこと。ある大学から旧弘前藩の忍者のことを尋ねられた。この津軽でも忍者の実像は全く不明であり、一般市民の間でも、風呂敷をかぶって走り回るような通俗的イメージしか残っていない。しかし実際には当藩にお…

www.kendo.or.jp 「月刊 剣窓」平成28年5月1日号(最新号) 私の父、剣道教士八段・卜傳流剣術宗家 小山秀弘による 「剣豪探訪記15 津軽の剣豪たち」が掲載された。 17世紀に活躍した、 林崎新夢想流居合 常井喜兵衛、 當田流 浅利伊兵衛と一戸三之助、 そし…

他人まかせで、己の生身の身体から離れた理合。全国組織の中枢に提示されたものが唯一の「伝統」「正しさ」だと絶対視、権威化し、盲目的にひたすら繰り返すだけが「美徳」である。となれば、個別の事情が異なる、ひとりひとりの心身が壊れていくのは当たり…

どうしてこんなに日本刀の文化は狭くなったのか、と思うことがある。確かに日本刀は、武具としての歴史的役割を終えたから、美術品として認識するしかない。すると、その操作法を知らずとも「オレの美術刀剣鑑賞眼こそ一番だ」「よってオレこそ日本刀のすべ…

現代武道で小太刀は、あまり注目されることが少ない。なぜか。小太刀同士で試合をする短剣道は別として、剣道やスポーツチャンバラにおいて、常寸の刀相手に小太刀で互角に打ち合うことは、ほぼ不可能だと思われていることが多い。確かに地稽古(自由稽古)…

「刀剣ツアーin青森」。皆さまにお助けいただきながら、盛会のうちに終わった。県内外から約30名の申込みがあり、そのなかから20名の女性にご参加いただいた。深く感謝申し上げます。初日は刀匠の工房で、美術工芸品としての刀剣に触れたそうだ。二日目は当…

「剣術は形ばかりで、剣道のように打ち合わないでしょう」と言われることがある。そのイメージはやはり、剣術が廃れ、その実態がわからなくなった近代以降の勘違いではないか。刃引きや木刀でわかることもあれば、シナイだからこそわかる稽古もある。よって…

その土地ごとの地勢や風景があり、そのなかで熟成された方言、食べ物、祭り、暮らしの姿があり、それらの個性が讃えられる。しかし武術・武道については、そうではないようだ。その土地ごとの歴史的個性、独自の技法をかなぐり捨て、全国統一のスタイルへと…

六尺三寸の長い棒術の次は、短い小太刀の稽古を楽しんでいる。先日「(家伝剣術は)強くなるためだけではない。刀がない現代社会に応じた即物的な強さを求めるならば、旧時代の剣技より、もっとふさわしい武種がある。」としたが、それでも、かかる火の粉は…

わたしは、なんのために家伝剣術をやっているのか。強くなるためか。いや、そればかりが目的ではない。刀がない現代社会に応じた即物的な強さを求めるならば、旧時代の剣技より、もっとふさわしい武種があるだろう。名誉のためか。いや、先祖達が旧藩剣術指…

武道史研究では「戦国末期に生まれた武芸流派は、平和な近世において実戦経験を失い、形をなぞるだけの華法剣法と化した」とよく説明する。本当だろうか。実例で疑義を呈したい。江戸時代から近代まで数百年間、津軽地方各地には「喧嘩ねぷた」「ねぷた喧嘩…

日本武道館で第39回日本古武道演武大会が開催され、父とともに家伝剣術で出場した。当流はマイナー流儀のため、毎年ではなく、2年に一度しかお声がかからない。しかも海外派遣も、いつも同じ流派がローテーションし、当流には永遠に回ってこない。よって隔…

今回の「林崎新夢想流居合研究稽古会」では、林崎の居合を共通話題として、北海道、青森、群馬、栃木、首都圏各地、広島、熊本、福岡など全国各地から、全く体系や勝敗の価値観が異なる各ご流儀が集まる場となった。 あっという間に会場が満杯となった。入り…

武術、武道には、いろんな伝承の在り様がある。 全国各地の道場やスポーツセンターでも習えるものもあれば、家伝剣術や林崎新夢想流居合のように、各家や地域で黙々と伝承されてきて、公的にはリストアップされていないマイナーな武の伝承がある。(さらに全…

青森県内の各集落では、現在でも生活のなかでシャマニズムが伝承されている。岩木山赤倉沢では、近代以前から鬼神を信仰する巫者達が活動している。学生時代フィールドワークに入ったとき、女性信者達が「いっしん!(一心)」と唱えながら修行していたのを…

実家で毎年恒例の餅搗き。 (だたぢ12月29日だけは「九日餅」と言って「苦」につながるから餅搗きを避け、違う日にするのは日本各地の習俗と同じだ。)まずは、台所にある古いレンガ造りのカマドに、水を入れた鍔釜と、水に浸した餅米を入れた蒸籠をすえる。…