津軽にもようやく春が来た。 深い雪に埋もれていた庭の小さな稽古場が、ようやく地表に出てきた。 またここで稽古ができる。 先日は、弘前で武学研究会を開催された光岡英稔師範と幹事S氏、外崎源人氏を我が家の稽古場にお招きして、林崎新夢想流居合の研究…

弘前藩の林崎新夢想流居合を復元、復興していくうえで、参考史料のひとつとしているのが、武家屋敷だった実家の引き出しから出てきた、近世史料「居合掌鑑」だ。 これは、同流浅利伊兵衛均録から山形半十郎茂高へ、そして我が父祖達である小山次郎太夫英貞と…

疲れて帰ってきても、なるべく一本だけでも、稽古するようにしている。 ことに復元・復興中の林崎新夢想流居合の形は多くて、すべてを習得しきれていない。 やがていつかは…などと悠長にやっていれば永遠にやらないだろうから。 今日は右身「臥足」だった。…

近年、剣道をやっている青少年が「面タオル」という。いったいなんだ。 よく聞くと「手ぬぐい」のことだった。 毎朝、剣道を教えてくれた明治生まれの祖父も昭和初期生まれの祖父も、そんな名前はしゃべったこともないし、聞いたこともないぞ。 「伝統」の世…

世の中はさらに暗く、風雲急を告げていく予感がする。 世のあちこちで、ますます拘束が強くなっていくだろういま、非力な私ができることといえば、己を見失ない、流されてしまわないよう、 目前の世界に直接向き合っている、この我が心身の規矩、位を、しっ…

つくづく形の稽古は難しい。師匠である打太刀の器が試される。予定調和の外形をなぞるだけの体操になるのはいけない。だが、単なるつぶし合いになってもいけない。打太刀は師匠がやるのがいい。それはなぜか。それは打太刀が、弟子である仕太刀を導く役目で…

林崎新夢想流居合「向身」七本をおさらい。 打太刀に向かって歩いていき、何も考えずにフッと扶据(ふきょ)に座った瞬間が、実は、身体各部が無理なく自然につながった開き、最も動けそうな感じになる。 まるで、空中から落として、自然に展開してカタチを…

素面素小手、袋竹刀で家伝剣術の組太刀。 それは一般のように「何歩で歩いたら何度の角度で打て」という外形重視の体操のような形では使えないから、内側重視、あとはどんな現象が発生するかは神のみぞ知る。 上段から歩み寄り、互いに斬りこむだけのシンプ…

形が何を指し示めしているのか。 例えば、林崎新夢想流居合は、正座する打太刀に向かい、その両膝の間に我が膝を入れるほど密着し、扶据(ふきょ)という片膝を立てた座法をとり、三尺三寸の長刀を抜き操作する。 これを即物的にとらえ「戦いでそんな状況は…

林崎新夢想流居合の記録映像撮影。 K氏、無刀氏、外崎源人氏、下田雄次氏らのご協力のもと、向身七本、右身七本、左身七本まで撮影が完了した。 今後、編集作業等を経て、参考資料として公開へと進めていきたい。 そして朝方、家伝剣術の刀の素振りをしてい…

稽古用の木製槍が二筋届いた。ひとつは直槍。ひとつは十文字槍である。 家伝剣術の先師たちは、弘前藩の宝蔵院流槍術も修めていた。同流の達人弘前藩士小舘儀兵衛は、小柄でありながらも、槍を持てば大力と目にもとまらぬ速い突きを発揮し「腰の釣り合いが重…

常に斬りが、剣が、そのまま身を包む甲になるからこそ、素面素小手の木刀稽古でも、致命傷とはならずに稽古できたのではないか。 木刀でそのことを学んで、真剣による闘争でもそうしたのだろう。 おそらくこれは当流だけではなく、往時の古流はみなやってい…

先日、正面衝突の相打ちを超える剣技はいかに…と悩んだが。 もしかするとヒントはすでに示されていたなあ。 家伝剣術の所作だ。 斬りそのものが防御を含んでいる。攻防一致。 だからこそ「生々剣」も「性妙剣」も、剣を主に、剣に導かれるように動くことを学…

事理一致とは何か。 「私は形稽古しかやらない」という師範もいる。それもひとつの方法である。 しかしその形は、初発において、混沌とした世界のなかから開祖が見いだした理である。 だからその成立には、成功ばかりではなく、多くの失敗や不協和音があり、…

『中山博道剣道口述集』(スキージャーナル社)を10年ぶりに再読している。 近代剣道と近代の居合道を創り上げた、中山博道師範については、いろいろな評価があるようだが、ともかくその激しい修行人生に驚嘆し、再敬服する。己の怠慢稽古が恥ずかしい。 …

稽古とは何か。 戦いでは、敵だって懸命だから、かりそめの攻撃では不安であり、なるべく長引かせず、確実にしとめたい。 これが、ポイントをかせいで総合点で勝敗を決める競技やゲームとの違いか。 確実にしとめたいから相手は他のどこでもない、最も効果的…

永井義男『剣術修業の旅日記 佐賀藩・葉隠武士の「諸国廻国日録」を読む』(朝日新聞出版、2013年)は大変面白い。 幕末、鉄人流という二刀流を修めた佐賀藩士牟田文之助が、日本各地を二年間、武者修行して歩いた記録である。当時の剣術の実態が見えてくる…

沈思黙考している山中の聖人が、混沌とした俗世で生き延びられるかどうかわからないように、 己の内観を養成する形稽古だけでは、武とはなりえない。 確かに己の旧態と、原理が更新され、質が高まるが、 それを、変化する相手との関係性のなかで使えるかどう…