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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

林崎新夢想流居合

新年からいろいろ忙しい。こんなにつましい我が人生でさえ、やらなくてはならないことが次から次へと出てくる。若い頃のように己ひとりのことだけ考えているわけにはいかない。家族や一族のことも大事にしながら、己の仕事も研究も稽古もやるのだ。面倒だと…

実家で毎年恒例の餅搗き。 (だたぢ12月29日だけは「九日餅」と言って「苦」につながるから餅搗きを避け、違う日にするのは日本各地の習俗と同じだ。)まずは、台所にある古いレンガ造りのカマドに、水を入れた鍔釜と、水に浸した餅米を入れた蒸籠をすえる。…

日本武道文化研究所/居合文化研究会が、全国各地に伝承されている林崎新夢想流居合の同志たちの交流のためのサイト 「林崎新夢想流居合稽古会」(http://hayashizakishinmusoryu.jimdo.com/)を開設されるとともに、2016年1月の同流研究稽古会告知ショート…

おそらく我々には、恐ろしいほどの固定観念がある。 それがいろんな理合を見えなくさせている。私もだ。 なぜ、林崎新夢想流居合は、もっと遠間から斬りつけることをしないのか、 というご質問をよくいただく。 自然な疑問だ。 確かに一般的な居合はみんな、…

よく林崎系統の居合伝書は「右膝を規矩とする」という。 もしかするとそれは、抜刀時だけではなく、納刀においても同様なのではないか。 いや、居合だけではない、剣術にもいえるのではないか。 我が家では、近世から近代にかけて二百数十年間、家伝剣術と林…

愚息は中学校剣道部員だ。 その話を聞いていると、自分の中学生時代を思い出すとともに、変化も感じることがある。 子どもの頃の私は、家伝剣術よりも竹刀剣道稽古が多かったので、人より早く始めた分、試合ではあまり苦労しなかった。 だが息子は逆に、竹刀…

このたび、東京で弘前藩伝の林崎新夢想流居合(はやしざきしんむそうりゅういあい)の研究稽古会を開催する。 古武術是風会および日本武道文化研究所・居合文化研究会ご一同のお導きに深く感謝したい。 さて、いつもならば我が青森県は、全国的な武術・武道…

「林崎新夢想流居合研究稽古会」のご案内 1趣旨:抜刀術、居合の開祖とされる戦国末期の剣豪林崎甚助。 近世以来、その流儀は、様々な伝承となって日本列島各地へ広がり、いまもそれぞれの伝承と稽古が続けられています。 旧弘前藩(現青森県津軽地方)にも…

2016年1月23日~24日、東京都内で「林崎新夢想流居合研究稽古会」を開催します。 ご関心のある方、どうぞおいでください。 (詳細は当ホームページ「活動について」-「お知らせ」欄でご覧ください)

巨石信仰のフィールドワーク調査。 ここ数日間、ひと気のない山中を歩いている。 たいがいは、廃れてしまった山中の小祠や神社の跡を巡るので、往時の街道は山野に還りかけている。 途中でクルマを乗り捨て、道なき道を、泥道を、繁みのなかを、小川のなかを…

古武術を、単なる「骨董品」ではなく、技が使えるかどうか、「生きた存在」として稽古するためには。 技が多いか格好いいかではない。 いかに歴史が古いか、いかに権威があり門弟が多いかでもない。 小さくともかまわない。その土台となる古い身体観、身体の…

「全国古流武術フォーラム2015―林崎甚助の居合を探る―」が盛会のうちに終了した。 日本各地の各古流武術流派との技術交流、研鑽の場を創造することが一番の目的だ。 大会でご提示した弘前藩の林崎新夢想流居合は、決して「正解」ではなく、交流のためのきっ…

林崎新夢想流居合「右身」五本目「臥足」 今回の動きは本当に、前近代の東アジア的な身体技法であり、近現代の体育的視点でとらえればあまりに不可思議な運動であろう。 しかし現代の武道観念で無理に整理してしまえば、この技の生命は失われ、単なるカタチ…

林崎新夢想流居合「右身」四本目「柄取」 ほかの右身と同じように、仕太刀は左側に、打太刀は右側に身を接して並んで座る。 今回は仕太刀が先をとる。機をみて仕太刀が三尺三寸刀を抜こうとする。 すると打太刀は、左手で仕太刀の柄頭を押さえて抜刀を止め、…

林崎新夢想流居合「右身」の三本目「手取抜」。 これこそ、無刀氏こと故加川康之氏と、何度も何度もしつこく検証して稽古した。 当初は、あまりに困難な所作であり、カタチをなぞるだけで、実現不能ではないかとあきらめていた。 だが、自らの身体への観念が…

林崎新夢想流居合「右身」二本目「抜詰」 三尺三寸刀を帯びた仕太刀は、九寸五分の短刀を帯びて右方に正座している打太刀に歩み寄り、我が右半身を相手の左半身に接するかのように扶据する。 閑話休題。この居合の座法であるが、私が教えを乞うたI師範の技法…

林崎新夢想流居合の稽古。 私の居合は、全国的な居合を経ていないので、その経験者から見れば、常識はずれで、かなり異形らしい。 古来から諸流では「他流批判は厳禁」とされてきたものだが、仕方がない。好悪はそれぞれにお任せし、まずは己自身が納得でき…

林崎新夢想流居合「向身」最後の七本目は「頭上」である。 その技名の由来は、初発刀がそのまま止まらずに、相手の頭上を旋回していくことからか。 この形は全般的に、一本目「押立」に似ている。 さらに、近代に整備された、全日本剣道連盟「制定居合」一本…

林崎新夢想流居合「向身」六本目の「胸刀(むながたな)」 柔術や小具足のような技法も使う。 もともとこの居合は、柔術と剣術をつなぐ中間的な存在として誕生したという伝説がある。 よってそのルーツを探るためのヒントとなるか。 仕太刀は、正座している…

林崎新夢想流居合「向身」五本目の「幕越(まくごし)」 今回も不可思議な所作で満ちている。 そのひとつが「幕越」という所作だ。 おそらく先師達が、微妙な感覚を伝えようとして、身近な所作へたとえてみた言葉だ。 このように中近世の武の技名は、抽象的…

林崎新夢想流居合「向身」四本目は「除身(よけみ)」である。 ちなみに「向身(むこうみ)」とは、衆知のとおり、相手に向かって正対することをいう。 それでいながら武術は、実は我が身に、三角の規矩を内包させておくのだから用意周到だ。 そして「除身」…

林崎新夢想流居合「向身」三本目「防身(ふせぎみ)」 この技名は形のなかで使う、当流独特の構え「防身」に由来していると思われる。 まず、いつものように打太刀は正座して、九寸五分の短刀を帯びている。 仕太刀は三尺三寸の大刀を帯びている。打太刀に向…

林崎新夢想流居合「向身」二本目の「押抜」 まずは、なぜこの技名が「おしぬき」なのかわからない。 名前はその技の要素を意味しているだろうから、理解できていない私は「まだまだだ」ということだ。 現在の稽古段階を報告する。 一本目と同様、打太刀は正…

林崎新夢想流居合「向身」一本目「押立」。 わたしの稽古は、一般的な居合からすれば不可思議なことが多いだろうな。 居合とは、外見上の姿ばかり重視するものではなく、刀に慣れるためだけではなく、精神論だけでもなく、具体的な武術だったはず。 実際に我…

定例稽古。 稽古会を主宰していれば、参加者が多いもあれば少ない日もある。 多い日は賑やかでいろんなアイディアや和が生まれるし、少ない日は少人数で細かい術理までじっくりできる。 たまに見える新しい方。一回だけの見学では終わらず、長いご縁が生まれ…

林崎新夢想流居合「向身」七本の稽古。 この形では、それぞれ初発刀でどの高さ、相手のどの部位へ抜き付けるのか名七本ごとに異なっている。 それを手順として、頭で考えてやっていたが、覚えられるものではない。 だが、今頃になって自然な流れのなかで、な…

家伝剣術や林崎新夢想流居合の稽古は、本当によく日常生活につながるなあ。 10代、20代の頃は、ガンガン体力にまかせて、猛稽古をするほど「生きている実感」があった。それが稽古だと確信していた。それをやらないと自分の存在が希薄になってしまうような焦…

林崎新夢想流居合「向身」七本をおさらい。 打太刀に向かって歩いていき、何も考えずにフッと扶据(ふきょ)に座った瞬間が、実は、身体各部が無理なく自然につながった開き、最も動けそうな感じになる。 まるで、空中から落として、自然に展開してカタチを…

今秋「全国古流武術フォーラム2015-林崎甚助の居合を求めて-」を開催する。 なぜ津軽でこのような大会を開催するのか、不思議に思われる方もいらっしゃるだろう。すこしご説明申し上げたい。 林崎甚助重信とは、戦国末期に、抜刀術、居合を生み出した…

修武堂の定例稽古。 おなじみの方々とともに学生さん達もおいでになり賑やかだった。 久しぶり道場に入った瞬間、杉材の床が、日々の剣道稽古すり足で、まるでグラインダーをかけたようにボロボロになっていることに驚いた。 そのなかにひとつ、小さな窪みが…

「全国古流武術フォーラム2015-林崎甚助の居合を探る-」 1趣旨 津軽の武士達は「林崎新夢想流居合」という古い武術を学びました。目の前の敵が短刀で突いてくるのを、三尺三寸の長い刀を抜き一瞬で斬りとめる技です。弘前藩士たちにとっては流派の違いを越…

林崎新夢想流居合一本目「押立」の初発刀は、「水平」か「袈裟斬り」なのか。 という質問をいただいた。 懐かしいテーマだ。 そのことについては4、5年前から、故加川康之氏との稽古のなかで何度も検証し、何度も修武堂ホームページで紹介した。 また、一…

何がリアルな武なのだろうか。 それは人によって異なり、私も明快な答えができない。 だが、武が仮想空間の競技ではなく、現実を生きぬく技法だとすれば、 その稽古眼目はそのまま、現実世界とは何か、生きることをどうとらえるか、 という大命題へ、自ずと…

またひとり、当会の中核的存在だったF女史が、津軽を離れることになった。 合気道に優れ、身体の反応が速く、袋竹刀を交えたときには、剣道家とは異なる精妙な手を遣われ、私は大変勉強となった。 仙台に行かれても、我々との武縁は続くはず。新しい天地での…

「伝統」とは、後世を生きている我々を守り、導く守護天使のような有り難い存在である。 わたしもそこで活かしてもらっている。 しかしややもすれば、己自身で考えることなく、与えられるまま、排他的な「正統性」に依存したがる怠惰な強情をも招く。 それは…

林崎新夢想流居合の天横一文字から天縦一文字へ、構えが変化するなかで発生する攻防一致の太刀筋。 それが、なにも新しい発見でもなんでもなく、家伝剣術、そして新陰流や鹿島神流など諸流でも当たり前に遣ってきた技法であったことに気づき、まるで新しく発…

本日は久しぶりにみんなで林崎新夢想流居合の稽古。今日は「外物」 その前に、この居合すべての技を通底する所作について。 まずは扶据(ふきょ)という独特の立ち膝。 この座方の精度、整った心身を養うための優れた稽古方法がある。 扶据からの抜刀で、床…

年末から新年にかけて、家族サービスや仕事、大雪との格闘に追われ、まとまった稽古時間がとれなかった。情けない。 私の武が、いかに暮らしに根付いていないかという証拠ではないか。 たとえ試合チャンピオンであろうとも、武道高段者であろうとも、生きて…

12月13日、修武堂有志で「東京武者(無茶)修行」へ。 井のなかの蛙も、ときどき大海を知らなくては。 現代武道師範のなかには「この道一筋」を美徳として、他流との交流を禁じ、他の段位を取得すれば破門にする場合もある。 亡き私の祖父も、いわれなき…

何年ぶりにランニングシューズを買ってしまった。でもいいのかな。 己の稽古内容が拙くなってくると、ついつい体力稽古をやりたくなる。 地稽古や乱取り、素振り、筋トレ…。毎夜、弘前公園の闇を走る。 20代、30代の頃ならばそれでよかった。確かに得る…

ここ数日、膝が規矩になるということを感じて、工夫している。 座った林崎新夢想流居合では右膝が、立った家伝剣術では両膝が、それぞれ稽古のなかで所作のメルクマールとして指摘されることが多い。 伝書でも、亡き祖父との稽古でも、いまの父での稽古でも…

実家で父母の庭仕事の手伝い。 数年前、甲野善紀先生がおいでになられたとき「植物園のようですね」とお褒めいただいた。 本当によくまあ、桜、梅、柿、栗、無花果、椿などの小高い木々が、あちこち枝を茂らせており、その下にまた低い低木や草木が生い茂る…

実家庭の稽古場。 T氏にお相手をお願いし、数か月ぶりに甲冑を着て、刃引き刀で、家伝剣術組太刀および林崎新夢想流居合立抜刀の組太刀稽古。 10月4日の青森市ワラッセ公開講座で演武するためだ。 今回は兜のみ外して鉄鉢か烏帽子を被った、より機動性の高い…

先日、鳥井野獅子踊の祭礼にお邪魔した。 同じ前近代の身体技法でも、獅子踊は、近現代武道のように、近代競技スポーツ論理で整理されたり改変されたことは少ないから、古い要素が残っているのではないか。 その教え方のなかで「腕を差し伸べれば自然と脚も…

武技には、無限の変化がある。 ならばなぜ、武士達は、これほどシンプルな形しか残さなかったのか。 いや、我々自身が、形が生まれたときのその有り様を、向き合い方を見失っているのだ。 全国武者修行で無敗を誇った、17世紀弘前藩の剣豪浅利伊兵衛。 我…

形が何を指し示めしているのか。 例えば、林崎新夢想流居合は、正座する打太刀に向かい、その両膝の間に我が膝を入れるほど密着し、扶据(ふきょ)という片膝を立てた座法をとり、三尺三寸の長刀を抜き操作する。 これを即物的にとらえ「戦いでそんな状況は…

林崎新夢想流居合の記録映像撮影。 K氏、無刀氏、外崎源人氏、下田雄次氏らのご協力のもと、向身七本、右身七本、左身七本まで撮影が完了した。 今後、編集作業等を経て、参考資料として公開へと進めていきたい。 そして朝方、家伝剣術の刀の素振りをしてい…

昨日の定例稽古は、朝9時から18時まで。クタクタだが夢中で、アッという間の時間に感じた。 午前は、テレビ局勤務K氏のご指導のもと、無刀氏と下田雄次氏と私の三名で、弘前藩伝承の林崎新夢想流居合の記録映像を撮影した。 まだまだのレベルではあるが、4代…

稽古用の木製槍が二筋届いた。ひとつは直槍。ひとつは十文字槍である。 家伝剣術の先師たちは、弘前藩の宝蔵院流槍術も修めていた。同流の達人弘前藩士小舘儀兵衛は、小柄でありながらも、槍を持てば大力と目にもとまらぬ速い突きを発揮し「腰の釣り合いが重…