古剣稽古日誌

当「修武堂」設立から10年目を迎えて、ホームページを全面リニューアルした。

作成していただいた柴田デザイン(http://www.shibata-design.com/index.html)には深く感謝申し上げます。

わたしもまた心新たに精進に励みたい。

(※以下は、更新直前の2013年11月12日の稽古日誌(古剣記)を再掲します。)

さて、先日、家伝剣術の大太刀「表」二本目、三本目の稽古で感じたこと、

相手の重い斬撃を受け止めても、我が構えごと、全身ごと崩されると、人は立ち続けようとする我が身体のバランスをとる方を優先してしまうらしく、次の変化に遅れてしまい、反撃すらおぼつかなくなるようだ。

もしかすると、これは連打の応酬という、無間地獄から脱するヒントにならないか。

つまり、よく古流のシンプルな打ちでは、変化に富む速射砲のような竹刀剣道にはとうてい間に合わず、応じきれないといわれる。両方、稽古してきた私も否めない感があった。

だが、軽快な速射砲は、土台である身体が安定しているからこそ可能なのであり、土台が揺らげば、不能となってしまうのではないか。

現代の我々は、稽古でなかなかそんな技を体験する機会がないから、わからないのではないか。

実は古い剣術は、そのことを経験したうえで、あのような技法として編まれていることを、我々は忘れてしまっているのではないか。

さて雪が積もった。

寒さで外出が、道場や体育館へ行くことがおっくうになるこんな日でも、林崎新夢想流居合ならば狭い室内で充分に、厳しいが稽古できるから便利だ。往時の人もそうやって、日常いつでも稽古できていたのではないか。

同流「外物」の「取違」「寄足」「寄身」「懸蜻蛉」を独り稽古。

なんと不自由な姿勢から、なんとまあ不可能に近いような様々な変化が要求されることか。

体幹と常に連動した脚部を、ふだんの自分の身体観の全面転換が要求されるな。