古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

我が国では、文化の面でも、ルネサンス(復活、再生)が起こっているのではないか。

身近な例でいえば、古老が淡々と伝統を繰り返してきたように感じる民俗芸能でさえ、東日本大震災の被災地では、鎮魂や供養、地域の再生・復興イベントなどという新しい役割を発見し、今までにないムーブメントが起きている。

それを嫌う者もいようが、あたかも先人達が「遠い昔この芸能は誰それが…」由緒書に記したような伝説上の画期的時代、始まりのときが、いま目の前で発生している気がする、という人もいる。

それは古武術、武道の分野でもそうなのではないか。

古い伝統を墨守するだけの流派も、そして近代以降、国家システムに採用されて盤石のスタイルを確立した武道種目でさえ、それらを背後から支え、目に見えない土台となっていた社会全体が変容してきたこと(価値観の多様化、少子化、歴史研究の進展による新しい事実の解明…)により、いままでの堅牢さを保つのが困難となってきている。

教えられたことを墨守することに自らの存在意義を見出し、文化の記憶装置の役割をしている人(それも重要な役割です)からすれば、このような動きは「伝統を壊すなど、けしからん」となるだろう。

しかし実は、その墨守している「歴史」「伝統」でさえも、古来から全く不変であったものなどないのだ。

いずれの「歴史」「伝統」も、ある時代に、それ以前の遺産を継承しながらも、ある面ではそれを打破し、干からびかけた毛細血管に、いきいきとした新陳代謝を発生させて、新しい姿となって出現してきたものばかりなのだ。

私はそのような生命力にあふれた時代が来ていると思う。その変化はいつのまにか我々を包んでいるのではないか。

14世紀にイタリアから始まったというルネサンスが、「何年からスタートして何年に終了しました」、と後世の研究者が断定しきれないように、その時代に生きた人はなおさら全貌が把握できないまま、必死に生き、その足跡が、後に歩く者たちの道しるべとなることも知らずに生涯を終えたのではないか。

私もその黄金の塔に、小さな釘をひとつ打とう。

この孤立と暗中模索は、やがて新しい剣が生み出される時代へ向けた鍛錬作業なのだ。

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