沈思黙考している山中の聖人が、混沌とした俗世で生き延びられるかどうかわからないように、

己の内観を養成する形稽古だけでは、武とはなりえない。

確かに己の旧態と、原理が更新され、質が高まるが、

それを、変化する相手との関係性のなかで使えるかどうかは別なのである。

だからといって、俗世での目先の実践ばかりうまく生きている人間が、聖人、達人とも限らない。

言葉だって正しい文法だけでは、その場の雰囲気やニュアンスが失われて生命力を失うが、スラングだけでも、正確な内容が伝わらず、仲間の外には通じなくなる…。

稽古でひとり磨いた質を、予想外の変化のなかへ落とし込むときには、大きな断崖を飛び越えるような勇気が必要となる。

あっけなく叩き落とされて、反証と実験の模索が始まることもあれば、

あっけなくスルリと新たな地平へ抜け出て驚くこともある。

ともかく「我が流儀」の歴史と看板を盲信し、「これをやっていれば安心だ」と依存してしまってはいけない。

武という文化は、異質で慮外の外界へ応じることを、生まれながらの命題としてきた、生きるための実践知であったのだから。

この世界には、自分の方法や「正しさ」が、全く通用しない相手や状況があるだろうことを畏れ、常に工夫していたのではないか。

その工夫とは「相手がどんな存在かわからない」のだから、競技スポーツのように、目標や対策が立てられない。

よって、どのような状況にでも対応できるよう、己自身の本質を高めていくような稽古とならざるをえない。(なんだか堂々巡りになってきたぞ…)

すると、日々の生活と、生きることそのものと直結してしまう。

もしかすると、生きることに優劣などなく、それぞれの固有の運命なかで、いかに充実したかが大事なのではないか。

林崎新夢想流居合「向身」のなかの「幕越」。刀で幕の陰にあるものを刺して探るように、仕太刀の二の腕を右から左回りにえぐって引く、というしぐさが不自然でならなかったが、さきほど常寸の刀で立ったまま納刀を工夫していたら、腑に落ちた。

刀と我が身がつながったまま、刀が動きたい方向にまかせれば、おのずとそうなるのだ。これは片刃で湾曲している刀の構造的特性と、人間の身体構造双方の関係でそうなってしまうのだ。

意識して「こうするべし」と頑張って作った形では、急場でメッキがはげてしまう。それでは命をゆだねられない。それより、自ずとそうなってしまうという自然な動きこそ、根っこがあるのではないか。