正月2日に、JR新青森駅で奉納演武をする。(午前11時~12時および午後2時から3時の2回)

修武堂に参加されている全流儀および錦風流尺八、弘前大学古武術研究会の学生さんたちオールスターキャストである。

ミニ体験会もあり、観覧無料なので、新幹線を使われる方はのぞいてみてください。

そのなかの実験的な演武として全身甲冑による組太刀も行う。

当世具足を久しぶりに着てみた。

急いで着てみて7~8分かかった。しかし粗末な着方のためかなんだか違和感があって動きにくい。

いかに甲冑を着ていようと、刃引き刀で稽古するのだから、一歩間違うと大怪我だ。お相手をしてくれるのがベテランのT氏だから大丈夫なのだ。

よく甲冑武者相手には、鎧の透間を狙うものだというが、そればかりではないだろう。

おそらく速さとともに、一太刀で全身のバランスが揺らぐほどの重さを兼ね備えた斬撃を繰り出したのではないか。

宮本武蔵は五輪書で説いている。甲冑武者に対して、手首のスナップを効かせた小さく速い打ちを遣っても無効だと。

重さのある太刀筋は甲冑だろうが素肌のときだろうが分け隔てなく有効だったろう。一触で済まなくては、命は何度も危険にさらされ、多人数にも対応できない。

家伝剣術「表」の形から、それを習得するヒントが少しずつ見えてきている感がある。これはやはり、自由に打ち合い、即効の果を優先してしまう地稽古ばかりでは気づきはしなかったろう。

甲冑。帰宅してから落ち着いてじっくり丁寧に着てみた。

すると妙な全身の感覚がある。自ずと腰が据わり、胴体がねじれなくなる。それでいて全身が重くて居着くということはない。

よく「重い甲冑を着ると動けないはずだ」「だから低い腰なのだ」という見解があるが、おそらく実際の経験が無い方だろう。気持ちよく身に沿わせて着ると案外軽やかなのだ。鎧の重さを推進力として駆け回ることもできる。

遊び半分で愚息が体当たりしたり、相撲のように押してきた。こちらはなんの用意もしていない、ただ突っ立っているのに、なかなか押し負けなくなっているようだ。

これは妙だと、甲冑を脱いでみたら、今度は簡単に押し崩されそうになる。これは重さだけではなく、全身の状態に何かが起こっている気がする。

甲冑を着た演武となると、武道関係者のなかには「奇をてらったパフォーマンスか」ととらえる人も少なくなく、私もあまり関心がなかった。

しかし実際に着て動いてみると、いろんな気づきがあるのだ。

往時の武士達が、命のかかった戦場で着用したのだから、わざわざ着にくいものを作るわけがなく、動きやすい構造を工夫したはずだ。

着ることでますます技が向上するような、まるで現代のスポーツ用の機能的アンダーウェア、陸上選手の特性シューズのような存在だったのではないか。

つまり甲冑を着て、気持ちよく動けるような身体になれば、往時の武士達の身体の状態が感得されてきたといえよう。だから最近、コスプレ用に軽量で動きやすい甲冑が販売されているが、それでは身体の妙味がわからなくなってしまうのではないか。

ちょうど要人警護のお仕事をされている方がおいでになったが、初対面でいきなり甲冑姿だから「なんとマニアックな集団か」と驚かれたろうな。