古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

今日、北辰堂の寒稽古納め会で、家伝剣術のほかにも、研究中の林崎新夢想流居合、本覚克己流和(柔術)を演武した。無刀氏、T氏、S氏にお助けいただいて。

おそらくこの道場では半世紀以上ぶりであろう。

私は一昨日、板の間での柔術稽古で、下手な受け身で腰を強打し傷めていた。翌日は終日、サポーターと帯をぐるぐる巻いて、這うように暮らしていたぐらいだ。

身体が傷めば、心まで病んでしまう弱い己だ。靴下もはけない、便座にも座れない、歩くこともできないのに、再び板の間で、受け身がとれるとはとうてい思えない。どうするのだ…。

よく激しい稽古で知られる現代格闘技がある。確かにカッコいいが、慢性的な故障とケガに悩まされるのだとすれば、それは強くなる道ではなく、逆にいまの私のように、普通の人より弱くなっていく道を選んでいるのではないか。

武には養生が必要だ。健康あっての強さである。

そうなのだが、なんにしろ、ともかく明日は必ず、柔術を演武しなくてはならない。

おそらくこれは、私ひとりの問題ではない。今回の演武で、協力していただくお仲間達のご縁、そして、この地で何か新しい世界が開いていく、得難き機会となる気がしてならない。

小さくとも私に課せられた務めであるような気がしてならない。協力していただくお三方にも報いたい。たとえ壊れてもやりとげるぞ。

天を仰いで、どうぞチカラを与えてください、と祈るような気持ちで布団に入った。

なんと翌日は、まるでウソのように痛みが消えていて驚く。やるぞ。

少しズレた可能性があるという骨盤を、整体師でもある無刀氏に調整してもらって演武へ。

最初の「腕流」。清水の舞台から飛び降りるつもりで、回転受け身をとった。着地した瞬間、私の蹴り足で、激しく床が鳴った。

なんと、全く痛みがない。いつものように動く。

「やるしかない」とハラが据われば人間なんとかなるものだ。「これはいけるぞ、ありがとう神様!」と、演武中なのに笑みまで浮かんでくる思いだった。

あとはいつものように夢中になる。板の間で無刀氏にドンドン投げられ、投げ、極めて極められ、調子に乗って、投げて組み伏せた後に、腕ひしぎ逆十字まで使ってしまった。すみません。

終わって着替えながら、役目を果たしたようで心の底からホッとした。なぜかやる前より元気になっている。

剣道の先生方は、興味深かくご覧になられていたようだ。

懇親会では、剣道部時代の先輩から興味深い話を聞いた。

幼い頃、北辰堂で私に竹刀剣道の基礎を教えてくれた故S先生、そして中学時代に剣道部でしっかりと鍛えてくれた故K先生は、小舘俊雄伝の小野派一刀流を修められていた。

お二人は、よく刃引きの刀で組太刀やられていた、それが「詰座抜刀」であることに改めて気づかされた。

「詰座抜刀」は、林崎新夢想流居合と近似している。いやそのものかもしれない。久しぶりに再会した先輩は、小舘伝の詰座抜刀を継承する、最後のひとりになっていた。

さっそく「扶据(ふきょ)」の座方、天横一文字、天縦一文字の太刀筋も教えていただいた。我々の稽古は間違っていないようだ。意外な技法も教わった。

そして、私が幼い頃、剣道を習った先生方はいずれも、何かしらの弘前藩の古流を修められていたことに改めて気づかされた。全国的にみてもこれはかなり貴重な環境、僥倖だったのだ。

いま探究している、いにしえの武士達の技法が、あれほど近くにたくさんあったのに、なぜ気づかなかったのか、なぜ尋ねておかなかったのかと悔やまれる。

反発する私を、暖かく育ててくれた、この土地の歴史と文化がある。

ふるさとの歴史を背負うことは拘束ばかりではない。それが個人を奮い立たせる力、ひとりを超える力を与えてくれることもある気がしてならない。

だが、それらはいま、存亡の危機にある。

「片田舎のちっぽけな文化だ」「もっといいものはないか」と、あたかもマーケットで商品を選ぶように、それを振り捨てて行く気はない。

先師たちが耕してきたように、私は、私なりの方法と精一杯で、この法灯を耕し続けていく。

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