古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

板の間での受け身稽古で強打した腰はまだ完治しない。でも稽古は続けている。

地を四つ足で這うような、複雑な所作をする林崎新夢想流居合ではなんともないのに、シンプルな正座の方が腰が痛い。

おそらく腰が居着いているかどうかだろう。

幼いころから「稽古」と聞けば「苦行」「根性」「我慢」ばかりで、サボることばかり考えていた。

いまは違う。ふだん気づけない心身に目を開く、楽しい実験のようだ。

「不自由」「拘束」の代名詞であるはずの古流の形でさえ、これほど自由でいろんな気づきにあふれているとはなあ。

繰り返すほど心身が疲弊していくのではなく、逆に爽快になってくる。

亡き祖父は「毎日飯を食うように稽古せよ」と言っていた。

それができなかった私が、いつの間にかそうなっていた。家族が「いいかげんにしなさい」というほど。祖父も楽しかったのだろう。稽古ができなくなれば私は急速に萎んでしまうだろう。

以前より気になり始めた、林崎新夢想流居合での、相手の小刀の突きに対して、立ち膝のまま身をかわしながら袈裟を斬る所作。

本気で突かれると、絶望的に間に合わない。不可能に近い。ところが何か打開できそうな気配。

試しに、正座した小学校高学年の息子に袋竹刀の小刀を持たせ、私は目の前に右足だけを立てた跪座(きざ)となって、大刀の袋竹刀を構える。

大刀の切っ先を左に向けて横一文字に寝せた「天の横一文字」。

(いままで何もわからずやってきた不可思議な所作だったが、おととい初めて、これは小刀から我が身をガードする所作として有効であることに気付けた。)

そこから、刀を垂直に立てて上段に構えた「天の縦一文字」へ変化したとたん、私の喉元ががら空きとなる。

その瞬間を感じたら「すかさず、遠慮無く、のどでも顔面でも突いていいよ」とやる。

小刀の突きは、右手を僅か十数㎝伸ばせばいいだけ。モグラ叩きのように簡単である。

(なお、彼が遠慮なく思いきり突けるように、私は格闘技のマスクをつけておく)

子供は先入観やカタチにとらわれず、遠慮がないから、ときに大人より厳しい攻めをしてくる。

しかも人間の反射神経は大人も子供もあまり差異はないものだ。

案の定、面白そうに、まるで獲物を狙うかのように突いてくる。

ところが、それでもなんとか間に合うようになってきた。

現段階の私の方法。両足の気配を消し、地面を蹴らないこと、地面に体重を乗せてしまわないことだ。

すなわち座っていながらも、我が身体の上下が釣り合って、あたかも地上すれすれに浮遊している球のような存在になる。

これは「薄氷を割らないように座ること」「船の上に立っているように」という口伝と関わるか。

そのような状態になると、刀を動かすのではなく、刀が動くから我が体幹も連れて変化するような感覚となる。

そして相手が突いてくる。嫌でも、その突きの線上、彼我の正中線から逃げてはいけない。

逃げたってどこまでも相手の小刀は追いかけてくる。両足を折りたたんでいる我は逃げられるはずもなく、迷いと苦悩は増えるばかりだ。

逃げる場は無数にあるが、逆にその嫌な突きの線上こそが、どこでもない、我がいるべき唯一の場なのではないか。

そこへは相手も迷わずやってくる。だからこそ、我が迷わず応じられる安住の場なのではないか。

彼の突きを邪魔するのではなく寄り添えばいい。対向するのではなくずれていくだけ。すると相手も我も立つ。

そのためには、両拳に連なって剣と身体がひとつになった構えが必要だ。

おい待てよ、これは家伝剣術の奥伝を座ってやっているだけではないか。

さて、多くの方々に支えられて、現代の「修武堂」が、いつの間にか10周年を迎えた。

私自身と稽古は、当初のころは予想もできなかったかたちで展開してきた。皆様深く感謝しております。

それに合わせるかのように、10年間使ってきた愛用の道具たちが、まるで役割を終えたかのように引退していく。

ご飯茶碗も、竹刀稽古用の格闘技面も割れてしまった。愛用の稽古着と袴も破け始めた…。

なんだかいつの間にか、旧態から脱皮し始めたような。

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