『中山博道剣道口述集』(スキージャーナル社)を10年ぶりに再読している。

近代剣道と近代の居合道を創り上げた、中山博道師範については、いろいろな評価があるようだが、ともかくその激しい修行人生に驚嘆し、再敬服する。己の怠慢稽古が恥ずかしい。

それとともに、10年前には読み取れなかった部分が少しずつ見えてきた。

すなわち、中山師範が提起した問題が、いまもなお残されていることだ。

師範が生きた時代は、各流派の個性が残る幕末の竹刀稽古が、全国的に統一、整備された体育としての近現代剣道へ統合されていく時代だった。

当時すでに竹刀稽古が主流で、古流を顧みる人は少なくなっていた。

そのなかで師範は、様々な古流を修め、その意義を何度も強調されている。

そこで描写された形稽古風景をみると、内観を通じて動きの質や構造そのものを転換する稽古ではなく、

実より外形を墨守して繰り返すこと、技のパターンのひとつとして認識すること、精一杯に力を使う竹刀稽古の延長上のまま、形を打つことといった、現代の我々が陥りやすい稽古方法が一般的になっていたことが伺える。

それではやはり竹刀稽古と古流形の乖離は埋まらないだろう。

それでも、歩み足、組み討ち、異種武器試合を行っていた中山師範の剣道は、現代よりも多彩で、古流剣術に近かったのではないか。

当時、中山師範が各地方を回ると、様々な稽古道具と技を使う人々が集まってきたという。全国平準化以前の剣技が窺われる。

そのような地方剣士のなかには、中央の高名剣士達をも圧倒する、無名の達人たちがいたことが、最近になって判明してきている。

人間の能力や技芸は、所属する団体の看板とは別なのだろう。

それは現代でも同じで、我々の知らないところにも、練達の士や大賢者がいるものだ。

ともかく現代では、中山師範の示唆が、ますます隔世の存在となりつつある気がしてならない。

新しい近代システムでも、他に比較するものがないまま長く続けば、人はそれを「正しさ」「盤石の天地」と考えてしまう。

やがて歴史でさえ、いまの正当性を補完するために編集され、それ以後の変更や工夫が忌まれ、初発の課題や問題はどこまでも引き継がれることになる。

自分と他人の心身を、既製服のような鋳型のなかに、力まかせに組み伏せるように稽古してきたために、凝り固まって枯れ細った武の精妙な理合。

それらを解きほぐし、暖かい毛細血管の清流を蘇らせ、我々の身に宿る天与の自然と、いまの混沌を生きぬいていく力を感得したい。