小学生時代、365日毎朝、北辰堂で、故岩田夏岳先生、故佐藤兵衛先生、故斉藤勝七先生から剣道を習った。特に斉藤先生には基本から丁寧にお教えいただいた。

中学になると剣道部で、故川崎昭三先生から鍛えていただいた。疲れて動けなくなったときに無心のいい打ちが出るものだと、懸り稽古でしごかれた。

各先生方は、木刀または刃引き、鬼小手で小野派一刀流剣術も稽古されていた。

それは、この津軽で、故笹森順造師範とともに同流を修業されていた故小舘俊雄師範の系統であり、いまでも複数の師範方によって伝承されている。

そのなかには、互いに向き合い座したまま行う居合もあった。

幼い私は、それが全国どこでも稽古されている普通の居合だと思い、漫然と見ていた。

最近になってようやくそれが普通の居合ではないことに気が付いた。

小野派一刀流のなかの詰座抜刀(つめざばっとう)だったのだ。

林崎新夢想流居合にも酷似しているその小舘伝は、現在ではただひとり、剣道部時代のH先輩が伝承されていることがわかった。高校時代、斎藤・川崎両先生から習っていたのだ。

修武堂においでいただき、みんなでお教えいただいた。

正座した小刀の打太刀に向かい、我は長い刀で扶据(ふきょ)の座法で向き合うこと、そこから抜刀、天横一文字、天縦一文字の構え、突いてくる小刀をかわして袈裟に斬ること、納刀など、林崎新夢想流居合との共通性が高く、今までの私の拙い稽古を見つめなおす貴重な経験となった。

特に扶据(ふきょ)の座法については、林崎のものより、少しだけ足の置きどころが異なるが、こちらの方が、身体がラクに安定してスッキリする。たが当初は、いままでやってきた林崎の扶据よりも腰骨の幅分だけ、内観がズレるような気がして苦戦した。

天横一文字のとき、刀の中央部の置き所についても、その後の天縦一文字への変化や二之躬などの刀の運用につながるようで、貴重な示唆をいただいた。

しかしなぜこのように、一刀流に林崎流の居合に酷似した技法が併伝されているのだろうか。門外漢にはわからない。

他地方にも様々な系統の一刀流が伝承されているが、同じような技法があるのだろうか。それとも、一刀流と林崎が併修されていた旧弘前藩だけの特徴なのだろうか。

ともかく、H先輩に深く感謝するとともに、今後もご指導をいただきたい。

その後はお仲間で、格闘技マスクと皮手袋を着け、袋竹刀による打ち合い稽古の実験。

大太刀同士で、送り足剣道に歩み足剣道で対すること、互いに剣術で、そして小太刀や二刀流、薙刀、槍などを組み合わせる地稽古など…。

どうやったら、竹刀剣道やスポーツチャンバラなどのスナップ打ち式ではない、刀法に直結する試合稽古ができるのかと。

激しさや厳しさばかりで毎度身体を壊し、つぶしてしまっては武の歩みはそこで尽きてしまい、青春時代の思い出で終わってしまう。

そうではなく、ずっと長く稽古を続けられ、心身がともに成長しながら、死ぬまで上達を目指して稽古できる安全性も重要だ。

防具なしで打ち合えば、一番ケガしやすいのが手指である。

拳や指を打たれたり、接触したりしたときの痛さ。指の故障は完治しない場合も多い。よって小手はいろんな工夫をした。

幼い頃から慣れ親しんだ剣道防具の小手は安全だが、分厚くて指がまとまってしまうため、素手の感覚からはほど遠く、手の内の感覚がズレるだけではなく、拳を打たれることに全く鈍感になってしまう。また近接した際に相手の獲物や体を掴んでいくことができない。

私は小手をはずして初めて刀や剣術技法の恐ろしさに気づけた点が多い。

格闘技オープンフィンガーグローブも便利だが、武器による親指や指先の強打には耐えられない。

ある方のご高配で、新陰流の皮小手も特注で入手し、その伝統の優れた構造に感動したが、貴重なものだけに、もったいなくて酷使できない。

現在は、安価で誰でもどこでも入手しやすく、持ち運びしやすい、溶接作業用の皮手袋を多用している。

これは指先まで包まれているし、薄からず厚からずで、叩かれたり刷り込まれたときに痛みまではなくとも、やられた感触がわかるのだ。

ただ面だけはまだ研究中だ。剣道防具の面は、歴史のなかで実践的工夫を通じて開発されてきただけに完成度が高い。

しかし首の防御を強化したために、首が固定されてしまい、中段以外の多彩な構えをとるときに不自由である。着けたとたん、体の感覚も素面状態からほど遠い気がしてならない。

その点、格闘技マスクは可動性が広いが、グローブを想定しているためか、目や口あたりの開口部が大きく、袋竹刀の突きが入りやすく危険である。

顔全面カバーしているスーパーセーフ面でさえ喉元ががら空きで、家伝剣術の技が使えない。また呼吸が苦しい。

現在ある方にアドバイスもいただき、フェンシング・サーブル用の鉄面で実験してみるつもりだ。

そしてS氏にお願いし、家伝剣術でいつも演武している技の検証。

遠慮せず、袋竹刀で思い切り当てて打ち込んでもらう。それを我は後方、そして左右にさばきながら、二太刀目で斬り割る、斬り止める。

不得手で、最近動きの仕組みを見直していた技ができ、逆に、できると思っていた技が全くできず、何度もいいように打たれた。皮手袋の上からも親指が傷む。

その失敗によって、太刀筋と我が体幹と連動した中心と正面をしっかりと立てること、身のさばきにおいて、足を踏みしめることや身体のどこかがグッと居着いて流れが滞ってはいけないことを痛感させられた。

今日は袋竹刀だったからいい。これが真剣ならば、さらに心身は凍り付き、逡巡し、私の指も拳も簡単に斬り割られているだろうと思うと、家伝剣術が向き合っている状況の厳しさと難しさ、我があまりの至らなさに冷や汗が出る思いがした。

多くの課題ばかり提示されたまま、12時から始まった稽古は、あっという間に会場貸切終了時刻の17時を迎えた。