古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

大雪の東京は、まるでいつもの津軽だった。

雪が降れば、自ずと人間生活や経済活動にブレーキがかかる。

ならば、毎日雪が降れば、東京でさえ津軽のような風土と社会に近くなるのではないか、ということを感じた。

日本武道館演武のため上京する。

朝にいつもよりチカラが満ちており不思議に思った。

もしかしたら、これは何かあるかもしれない。そのときにはたらくための準備かなと。

青森空港から羽田へ。我々の便は飛んだが、そのあとは欠航になった。危なかった。

都内では、人々の一風変わった雪への対応を目撃した。

まずは何もしないようだ。

あれほどアグレッシブな東京なのに、自然をそのまま受け入れて、歩道も車道も雪がそのまま残っている。そうか除雪車が来るわけなかったな。

除雪用具がないから大変。人々は、チリ取り、デッキブラシ、モップで雪を押し寄せる。

竹ボウキで掃いている。いかにも雪が少ない地方の風雅な方法だな。

神田のラーメン店で、ホースで水を撒き、雪を溶かそうとしていたのには驚いた。

翌朝には、立派なスケートリンクができること間違いなし。ソチを目指しているな。

人々は少しの降雪でも雨カッパや傘を使っている。津軽では見られない光景だ。

バリアフリー用の緩やかな斜面は、降雪で雪のすべり台と化している。

バスも自家用車も、ノーマルタイヤのまま、平気で、圧雪道路を走行する無謀さ。恐怖した。

息子の希望で、幕張のショッピングセンターの特撮ヒーロー展示へ。

よりによって千葉は最も降雪が多かったようだ。地吹雪がひどく、北津軽のショッピングセンターに戻ってきたかと思った。

圧雪道路で滑って動かなくなったクルマ。乗っていたバスも斜面を登ることができない。

JRのホームも吹雪く。いつもの弘前駅のようだ。電車は運休か遅延だという。

交通機関があてにならないのは、津軽での日々の通勤で慣れている。

懸命にスマートフォンで検索している人々が多いが、それより先に、前の雪の状態を見て、自分で判断し、感じて動いた方が的確だ。

ようやく東京ドームホテルに着いた。

ビル風も加わったのか、体重の重い私が、体ごともっていかれる強い地吹雪は何年ぶりか。

翌日、青空が広がっていた。

九段下の駅を降り、日本武道館へ。みなさん雪を避け、タイルが露出した狭い部分だけを密集して歩くため、道の左右が空いている。

これはラッキー。我々の「専用道路」だ。雪上を走ってまっすぐ会場へ。

これだけ交通機関が混乱しても、全国各地から、ひとつの流派も遅れずに集まった。

なにがあっても戦場には遅れない。さすが武士の文化を伝承されている方々だ。

会場では、武道学研究でご教示をいただいている渋川一流M先生や、関口流T先生、一刀流I先生、新陰流K先生、I氏、皆様方に再会できた。

交通混乱を抜けてきて、開き直ったせいか、家伝剣術の演武は、いつもより落ち着いてじっくりできた。

特に、互いに印の構えで父と対峙したとき、武道館のオレンジ色の照明のなかからボンヤリ浮き上がるようなその構えから打ち下ろされる太刀筋が、ゆっくりと陰影のように感じられた。

他にも様々な流派による優れた演武も多く勉強となった。

そのなかで、祖父の頃にはなかった演出の要素も見受けられた。

祖父が出場していたころは、中国から来た拳法の師範方に「なぜもっと見せ方を工夫しないのだ」と言われるのに対し「見せ物ではない」と反論する雰囲気があり、当流もいつもやっていることをそのまま淡々と披露してきた。

自分が企画したところでは楽しんでいるイタズラ者の私でさえ、この日本武道館演武では、いささかもその要素は入れない。

親父の言うとおり、伝承のまま、普段の稽古のまま、やるだけである。

そのため、よけい当流の素朴さ、地味さが目立つが、かまわない。

帰りの羽田空港は、200便以上が欠航となり、大勢の人々でごった返していた。

次々と「欠航」ランプが表示されていく。今晩は床に寝ることになるかな…。

私はよく災害に出くわすな。よりによって十何年ぶりの大雪で混乱する東京に来るとは。

奇遇にも、今日の靴、ジャケット、コート、ザックともに、岩手で3.11を被災してさまよったときと同じだ。

と思ったが、なんと奇跡的に、我々の便だけは飛んでくれた。

またもや、助けられた気がして感謝、感謝…。

帰宅して、都知事選の結果に愕然とした。

私の期待が、いかに世間の趨勢とずれているのか改めて思い知らされた。

まあ、これで決まったわけではなかろうが。

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