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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

ある体術専門の方が、刀法を工夫されていた。

それは、あくまで自分の体の動かし方があり、それを変えずに、剣を「召使い」として使ってやるぞという感じだった。

私も青少年期、重い木刀や鉄棒をブンブン振ればいいのだとやっていたが、いまからすればそれはつまらない稽古だろう。

己が主役で、剣へのリスペクトがないから、剣は協力してくれないし、何も語ってはくれない。すぐに限界が来るだろう。

それは体術稽古も同じで、やはり自分の身体を「家来」として「こうしなさい!」と連呼し、強制するのもいかがなものか。

そのうち身体は壊れていく。おそらくやがて心も折れていくだろう。

己が自分自身の心身をつぶしていくとは、もったいなさすぎる。

剣だろうが、体術だろうが、己の考えを押し付けて、世界を狭めてしまうのではなく、

剣や身体を主として、それが導いてくれる方向へ、我を開いていくことで、慮外の発見や気づきがやってくる。

昨日とは違う己へ歩んでいけるのではないか。

これは日々の稽古が楽しくなる。己の心身も養われていく。

おそらくそのとき、教えとは、そこへ固執するためのものではなく、

己の剣、心身をより生かしていくためのヒント、ゆるやかなベンチマークとなるべき存在なのではないか。

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