土曜日定例稽古。

抜刀術のT氏の指導で、真剣による試し斬り稽古。ひとつは、左右から糸でつるした紙一枚を斬るもの、そして台の上においた段ボールの筒を斬る稽古。

いずれもなかなか難しい。

そして私は、お相手を替えながら剣術と槍の自由稽古を実験。

弘前藩にはかつて宝蔵院流槍術があり、家伝剣術先師たちも修めており、明治初期、高弟の小田桐師範は高齢でありながらも大隈重信の前で仕合をして、褒美を賜ったという。

現在の津軽には同流槍術の伝書類が残るだけ。我々が失った文化だ。(そのことすら気づいていない方が大半だが)

それは全国的にも同様で、素振りだけならともかく、現代において槍の地稽古をやられている流派は、古武道の数流派ぐらいしかないかもしれない。

よってどのように稽古すればいいのかわからない。「正しい稽古法」など知らなくても、体験したくてしょうがないからやってみる。失敗するなかからわかってくることもあろう。

槍の代わりに試合用の薙刀。剣は剣道用竹刀か剣術用袋竹刀。

実験的に、フェンシングのサーブル用マスクの下に、剣道用ノド輪をつけ、上半身は、昔やったアイスホッケー用プロテクター、両スネには格闘技のレガース、小手は五本指の溶接用皮手袋を着けた。

お相手に「自由に突き、叩いて、薙ぎってください」とやる。

やはり槍の突きは威力が強い。比較的弾力性のある試合用薙刀でも、アイスホッケー用プロテクターでは、胸や脇、腰、鼠蹊部、太ももなどへの突き、そして肩への強打には耐えられないようだ。

厚い防具で完全防御の無痛稽古では、カブトムシ同士のように感覚が鈍くなって、接触したことがわからなくなり、競技になってしまうから、必要最低限度の防具で、少しぐらいやられた感覚がわかる程度がいいと考えていた。

しかし、槍の突きの威力は強くて、やはり固い樫木の得物で、思い切りやるならば、剣道用か柔剣道用の固い防具が必要かもしれないと思った。

そうでなくては、互いにライトコンタクトにしないと、いつか大怪我をしそうだ。

槍対槍、刀対槍または薙刀、小太刀対槍、二刀流対槍…などといろんな実験的試合を楽み、あっという間に4時間が過ぎた。

突き突かれ、叩き叩かれ、薙ぎ薙ぎられと試行錯誤をやっている途中、フッと新当流伝書に記された槍術の目付のことが浮かんだ。

そして弘前藩の宝蔵院流槍術達人、小舘儀兵衛の言葉「腰の釣り合い」も浮かんだ。

それらをヒントにふわっと構えを取ると、姿勢がラクになり、さらに攻防の応酬もラクになり、後の先で相手の槍先をさばくのがラクになった。

ときどき、自分でも知らないうちに自動的にさばけていて、相手の槍先が顔の横をかすめていくのに気付いてから初めてさばけていたんだと知り、危なかったと驚いている。

例えていうならば、構えが砕氷船の船先のようになり、様々な氷雪やしぶきを避けて進める感じか。

対立せずとも、己の構えが整うと、自ずと位が生まれるのだろうか。これは剣にも似ている。

しかし彼我も刻一刻と変化しているから、位は固定的な存在ではない。「この状態だな!」と確信した瞬間、すぐに相手に突かれ、独りよがりから目が覚める。特に喉元への突きの威力は要注意だ。

相手との関係性を「自分の考え」で握りつぶさず、相手に寄り添うように、ともに調和し、ある状態を共に創り続けるような、ゆらぎ続ける感じか。

家伝剣術「風波の伝」にも似ている。

4時間、ずっと休みなくやったのだが、身体のどこかを酷使したという感もなく、まんべんなく温まって気持ちがいいものだ。