山形県には居合の開祖林崎甚助を祀る林崎神社が鎮座している。

無刀氏を通じて、安永4年(1775)年523日、弘前藩士小山次郎太夫が参詣した記録があることを教えていただいた。

数代前の我が先祖である。妙な感動だ。

彼は、家伝剣術のほかに林崎新夢想流居合、當田流剣術・棒術などの師範だ。

そんなところまで武者修行にいっていたのか。

ちょうど各剣術の形稽古が形骸化しはじめ、代わりの竹刀稽古が流行し始める時代だ。

各地でなにを見て、どんな流派と遭遇したのだろうか。

彼は、わたしたち子孫に、武芸の形、直筆の伝書類とその教え、エピソードは残してくれたが、

200年前の人間なので、生身の存在として共感したことはない。

でも、父、祖父、曾祖父、高祖父、幕末の丁髷姿の先祖の顔写真、そして21世紀生まれの私の息子でさえ、なんだか顔立ちが似ているから遺伝とは面白いものだ。ロマンではあるが、18世紀の先祖も似たような顔をしていた可能性は高いな。

顔立ちだけではなく、剣の技も準じたいものだ。

いやなにより、先祖は、私がここに生きていること、そのものを残してくれた。

いかに至らぬ子孫でも、家伝を稽古するたびに、彼の存在が呼び起こされていることになろう。

わたしもいつかその流れのひとつになるだろう。

そのためには、なにがあろうと、いま、この場を生きなくては!