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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

そのほか

人間は誰しも境遇を選ぶことはできず、己の好悪を越えてその場に生まれる。

それでも人生が面白いのは、自分の想定外の展開のなかでこそ「己」という小さな殻が壊れて、素晴らしい気づきと展開に恵まれることが多いことか。

そのような、いままで育ててもらった「伝統」世界がどんどん弱ってきた。

剣技は長生きする世界だった。

例えば、若年で引退せざるをえない競技スポーツや格闘技に比べ、剣は生涯現役が可能だ。

よって一生、心身を深めていけること、蓄積された芳醇な内容を体感できることを、誇りに思い、深く感謝し、甘えてきた。

ところが、それにも一長一短がある。

現役が長い組織となれば、ある面では新陳代謝が遅く、新しい革新は生まれにくい。

ややもすれば、上位による現行維持を優先し、自ら工夫する者は排除され、その世界に留まる者は、上意下達のみ守る、気概の無い者だけになる。

すると、ますます制度も技芸も更新されず、ひたすら墨守する行為自体が美徳とされる。

そのような組織的な動脈硬化は、その世界を、技芸をひきこもらせ、ゆっくりと自壊させていく。

「日本の伝統」だとされる剣術も剣道も、これほど長い歴史のなかを生きのびてこられたのは、ある部分では不変であるが、ある部分では時代に対応し変化してきたからだ。

変化こそ、武の重要な理であることを、修行者は誰しも稽古で体認する。

「正しい構えだ」と、ずっと同じ姿でいる者に勝利はない。いくらでも叩かれてしまう。ひとりの短い稽古のなかにも、万物と共通する理が流れているとは面白い。

「正しい」と思って立っていたこの「社会」という土台が急速に変容している。

この世界を支えていくためには、いままでのように、己だけの稽古をしていればいいのではないなあと感じてきている。

それは「我が世界は正しい、不変の天蓋である」と盲信することではない。

そして「己さえ楽しければいい」とむさぼり食らうことからも生まれない。

脈々と伝承されてきた文化そのものが豊かになって、次の人々にも栄養となるように。

人たとえ私が非力で無能でも、その器となって、いまあるべきこと、なすべきことをやっていこう。

代々の父祖たちの背中に続け。

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