いくら私自身にとって必然性がある模索でも「正しい」大船から見れば、奇妙な存在として見えることもあろう。

笑われようともやるしかない。この文化そのものが風前の灯だ。

従前の方法が無効となりつつあるときに、意見はせず、上意下達にひたすら従順であることが本当の継承者といえようか。

先師たちから受け取り、育ててもらったこの世界そのものを、次へと生き延びらせていくためには、

先輩達をリスペクトしながらも、ときに笑顔で乗り越えていくしかないことがあるようだ。

そんな私の稽古会だからこそ批判がある。これは全く主宰している私自身の不徳のいたすところだが、

その方法については、天を仰いで恥じるところは全くない。

なにより私個人より、もっと大きな伝承の存続そのもののためにも引いてはいけない役割を感じた。いくら糾弾されようとも会議に出て、粛々と表明せねば。

会議は、無刀氏とT氏が同行してくれた。やはり言葉よりも、心身を底からぶつけ合ってきた同志はありがたいものだ。千万の援軍を得たような心強さだ。

思えば、いま「伝統」だと思われている稽古の場は、実はかつての我が先祖たちが新しく編み出したものであった。

明治維新で道場を閉鎖するしかなかった先祖も、近代に365日毎朝道場稽古するスタイルを作った祖父も、その時代の変化を生き延びるための改革だったが、おそらく当時の先輩達との葛藤もあったのではないか。

それが当家に生まれた男の役割だ。私もそれに続け。

そんな緊張しているなかでも、全く無縁に家伝剣術の新しい気づきがやってくるから意外なものだ。

いままでにない自分の内側が拓かれている状態だからこそ、新しいものが見えてきやすいのかもしれない。

歩いていこう。