弘前の桜も満開となった。

弘前城は一世紀ぶりの石垣修理のため、10年間、現在地から曳屋する。

わたくしもその事業にささやかながら関係しているが「見納め」効果なのか観光客が多い。

城に近い我が実家の桜の下、毎年恒例の修武堂抜刀(真剣試し斬り)稽古とバーベキューを賑やかに開催した。今年は学生たちも参加してくれ、わたしの息子も加えて、T氏の濃厚な抜刀講座となった。

ある方からいただいた刀なのになかなか切れない。よくみたら刃が立っていなかった。それでも少しは切れることを体験させてもらった。

家伝剣術では腰を据えて斬る「土壇斬り」と、忙しき乱戦の場は異なると書いている。我も敵も変化しつづけているものだからだ。

よって私個人としては、現代の大会ように、どっしりと両脚を踏めて、しかも身幅の広い抜刀専用の特注刀で斬ることを目指すのではなく、

通常の刀で、歩きながら、さばきながら斬ることを稽古することをしている。(正式な大会等では許可していないだろうが)

そのなかで改めて気づいたのは家伝剣術の構えだ。

上段で、なぜ現代武道のように正対してまっすぐ振りかぶらないか。

幼い頃、祖父の口伝では「兜の前立てを避けるため」と聞いたが、それだけではなく、身構え、構えのなかにすでに攻防一致が含まれているのではないか。

つまり何度も書いたが、近代以降の武道のように、互いにまっすぐ正対して打ち合う方法は、防具を装着しているからこそ無事でいられる技法であり、素面であれば、真剣どころか木刀や竹刀であっても互いに無傷ではいられない。

よって、同じ間合いから打ち合っても、我が剣のみ相手に届き、相手の剣はそれていくこと、敵より遠く我より近い、という技法が不可欠となる。

古流ではそれが、斬り以前の身勢、構えの段階から、自ずと攻防一致になるよう、仕込まれているのだ。

刀や木刀で稽古せよ、というのは、なにも昇段試験用、大会のセレモニー用のためではないし、重いものを振って腕力をつけるため、または刃筋が、刀法がわかる、という認識は甘すぎる。

防具なしで刀や木刀を使って稽古することで、一触すれば無事ではいられないこと、その危険にいかに対応するか、攻防一致が求められていることを体感しながら学ぶのだ。

当たり前のことだが、実はかなり多くの人がわからなくなっている基本なのではないか。