稽古用の木製槍が二筋届いた。ひとつは直槍。ひとつは十文字槍である。

家伝剣術の先師たちは、弘前藩の宝蔵院流槍術も修めていた。同流の達人弘前藩士小舘儀兵衛は、小柄でありながらも、槍を持てば大力と目にもとまらぬ速い突きを発揮し「腰の釣り合いが重要だ」と述べていたという。

私の実家の天井にも先祖伝来の三筋の真槍がかけてある。今回の稽古用槍はそれよりも少し短く、思ったより使いやすそうだ。

さっそく実家の庭で振ってみた。晴天、頭上には満開の桜、5匹の鯉のぼりが泳いでいる。

これより短い薙刀や6尺3寸の當田流の棒で工夫していた遣い方がそのまま使える。

小学生の息子がやってきたので、剣道用竹刀を持たせて、自由に打ってこいとやる。叩かれ役の私は、一応、全身にプロテクターを装着した。

対異種武器になると、いかに竹刀剣道の「正しい基本」が無効であり、古武道の技法が有効となるか実感できよう。

長物相手に、一足一刀の間合で構えたり、踏み込み足や送り足をやっていては恰好の餌食となり、いいように連打を浴びてしまうものだ。これは稽古で何度も実感した。

歩み足でスルスルとよどみなく間合いを詰め、ある境界を越せば、こちらのものだ。これも稽古をやっていると見えてくるものだ。

そして、ベタベタと密着して空間を、相手の構えを、身勢をつぶしていく。剣道部だった頃は不可思議に見えていた(たいがいの人もそうだろうが)、念流や當田流、新当流などの演武でよく見る遣い方が、ハッキリ現実に有効な技法として感じられてこよう。

ただし間合いを詰めていくさなかも、敵は黙ってはいない。変化し様々な攻防が発生する。

そのときに歩みをとめることなく、様々、瞬時に応じていける心身でなくてはならない。ひとはどうしても相手の変化に心身が留まり、そこをやられてしまう。

例えば、一足一刀の間合いから飛び込む技法を使えば、そのことで我の変化がひとつに限定されてそれで尽きてしまう。だから宮本武蔵は飛ぶこと否定したのか。

では、どんな状態がいいのか。おそらく普段暮らしているなにげない状態。家伝剣術「生々剣」、常の身でひとときもゆどむことなく歩んでいくこと。家伝剣術は「眼を止めず、手を止めず、足を止めず、不動の心身になる」と説く。

のびやかな普段の心身だからこそ、千変万化に瞬時に応じていける。

これは、槍相手に遠い間合いを詰めていくときばかりではない。近い間合いでもだ。

例えば林崎新夢想流居合は、わざと密着した間合いから長い刀を抜かせる稽古をする。

なぜか。長刀にとって最悪な状況設定だからだ。(武術の稽古が、競技スポーツの練習と異なる点は、自らにとって最悪な状況打開を課題とすることか。)

すなわち、人は敵との間合いが近くなるほど、心身が固着しやすい。しかも長い刀ほど動かせなくなる。

このような心身ともに制限されていきやすい最悪の場において、いかに自由自在な心身を得ていくか。それが形が暗黙のうちに示す稽古眼目なのではないか。それを無視して所作を変えてしまえば、すぐにナンセンスな古典芸能になってしまうだろう。

のびやかな常の身のままでいかに刀を扱えるか。これは独り稽古の重要な課題である気がする。濃淡や間欠が多く、どうしてもまばらになる己自身の心身の動きを、ドロドロの泥流ではなく、いかに清流、渓流のような、淀みなく軽やかに瞬時に変化していくような質の動きへと転換していくか。

幕末の先祖が祖父に家伝剣術を教えるとき、ゆっくりと動いたというが、中国拳法の練功のような稽古をしていたのではないかと改めて考えている。

以上は、現在の私の低レベルでの体感であるから、今後更新されるかもしれないが。