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いま改めて我が身の不足を思う。
清流の流れのように、転変自在かつ間欠がないような動きの質からほど遠い。
先日の抜刀(試し斬り)稽古もそうだった。
これは剣の実技だけではなく、実生活の各場面での物事への向き合い方にもつながる。
もしも私の心身の在り様がそうなれば、日々の暮らし、人生も、すべてが深く楽しくなるだろうな。
では具体的にどう稽古すればいいのか。
剣または己の肉体の一部を引導にするのもいい気がする。
それが、家伝剣術の素朴な形のあちこちで暗示されている。
と考えていたら、世間からみれば、このような私の稽古観が、いかにはずれ者なのか、改めて知らされる光景に出会った。
ある集まり。案件のなかで最も盛り上がったのが「誰それは何段になった」「教士になった」ということだった。
各氏が一斉に夢中になって、名簿の序列を喧々諤々チェックする風景に、ふと「軍隊将棋」を連想し、遠い世界に感じた。
彼らからすれば私は、無益なことをしている番外、外道だろうな。
しかし、一元的な価値観による序列集団では、上位の顔色が気になり、多様な意見、イノベーションは出にくくなるだろう。
さらにその権威の発行元が、自分たちが生きている「ここ」ではなく、遠い世界の見知らぬ人々に権限があるのだから複雑だ。
130年前、ここは、一種目の序列を競う場ではなく、混迷の時代を切り拓く、有為の人材を輩出するための場として始まったはずだ。
そんな設立時の先師たちが、嘆き悲しまないようにしたい。
そういえば、ひとは何のために武を稽古するのだろう。
それは、5歳から半ば強制的に剣の稽古をやらされていた私にとって、一番知りたいが、わからないことだった。
先輩や先生たちは「日本の伝統を守るため」「試合、昇段のため」「好きだから」というが、どれも他種目と取り替えが利く話だから、頑迷な私は納得できなかった。
そのまま、とぼとぼ歩いてきた。
いつのまにかいまでは、もう誰にも聞かずともいい。
答えが身近に用意されていたことに気づけた。頑迷な己を誰よりも納得させることができた。
ともかく、誰かに決めてもらった規格に収まり、狭い序列のなかで閉じていく「訓練」のような稽古では、この困難な時代を生き抜いていくには無力だろう。武も人も自主自立した豊かさが強さであろう。
ささやかな我々の修武堂だが、実はその内容はかなり斬新、多彩である。どこでもやっている稽古ではなく、世界中どこでもやっていない稽古(?)である。
なぜならば「正解」がないからだ。稽古している我々自身も、どんなことになるのか知らないのだから。
特別なことをやっているわけではない。誰もが「常識だ」とする技法があれば根本から再検証してみる。
そんな模索ばかりしていると、わからないまま歩んでいくのが寂しく辛いと感じることもあろう。すると、わかりやすく段位と称号をもらった方が安心できると。それも人情だ。わかる。
しかしだ。おそらく残念ながら、与えられた規格や「正解」のなかには、我々ひとりひとり生まれながらの固有の課題を解決してくれることはない気がしてならない。
たぶん答えは、世界中よそを探してもなく、実は己自身が生を受け、嫌でも逃げられないこの場を掘ることにこそ、本当の救いがある気がする。無明に向かって、楽しみながら歩いていける者だけが、見える世界がある。
と思って、小さいがどこにもない、この我が家伝剣術を掘っている。
ときにその模索から気付いたことが、現代において「伝統だ」と確信されている様式よりも前の、武士たちが発見し、諸芸にも通じるような古伝の術理への糸口だったりするから、うれしくてやめられない。