弘前城桜まつりは大にぎわい。家族とともに園内の護国神社境内、招魂社へ。

社内には、明治22年頃に、我が高祖父らが奉納した、家伝剣術、林崎新夢想流居合(林崎神夢想流居合とも表記している)、宝蔵院流槍術、日置流弓術の武芸奉納額があり、実家に残る高祖父の日記の内容と一致する。かつてはそれぞれの武具と伝書も打ち付けてあったらしい。

実際に、実家に残る幕末から近代の門人帳を見ると、祖父が小学生の頃までは、家伝剣術と林崎新夢想流居合の門弟を取り、江戸時代以来の免状を授与していたことがわかり、近世武芸の門弟制度そのままが、私が生まれるすぐ近くまで残っていたことを思えば感慨深いものがある。

なんだか嬉しく、独り稽古。

さて抜刀(試し斬り)稽古に使っている愛刀は九州の産だ。

陣太刀のように反りが高く、一キロ以上の重さがある。人よっては少し扱いづらいだろう。

桜の下、誰もいない庭の稽古場でそれを振っていると、刀の重さと慣性力を引き止めようとする余計な我が力が、逆に自分自身を居着かせていることにほとほと気づく。

多くの人はこれで腱鞘炎になるのだろう。ならば筋トレを…は間違っている。動きの根本そのものを。

すると新陰流などの古流の教え「面を引いてはいけない」にほとほとうなづいた。

これは、なぜ各古流剣術の絵伝書が猫背なのかということにもつながる。

おそらく以前は、諸流がみんなやっていた剣技の常識だったが、近代に改訂されてしまった。よって竹刀剣道や居合道の基本とは真逆の教えであり、高段者ほど、なかなか転換できないかもしれない。

しかし現実の刀法では、かなり重要かつ効果的な術理なのだ。

例えば家伝剣術の大太刀「裏」や「変形(へんぎょう)」のなかで、胸の前に垂直に立てた刀を斬り下ろしながら、脱兎のごとく前進し相手をひしいでいく所作がある。

これを剣道家が見れば、いかにも「正しい面打ち」または「斬り落とし」を連想し、好ましく思うだろうが、それでは現実に相手の構えと姿勢ごと崩せるような重さは出ないだろう。

よって家伝の「船の上に立つような」ふわりと浮きがかかった足遣いのまま、烏足のように体に連なって足が進むのだが、

その推進力と重さは、踏みしめたり蹴ったりして発生させるのではなく、前述の「面を引かない」斬り、すなわち剣から体幹があまり離れずに寄り添っていくような斬りだからこそ、ラクに居着かずに発生できる。

これは稽古してみると、あたかも堰を切った激流に身を乗せていくような勢いがあり、刀でやると相手をつけるのが危なくてためらわれる。

そのうちまるで、刀そのものが私が振って動いたのではなく、勝手に動く存在、龍の化身となり、我はそれに連れられていく他律運動のような錯覚までする。

古人は刀に水や龍のキーワードを付すことが多く、いままであまり共感できなかったが、最近は少しずつ理解できるようになってきた。

なぜならば、このような稽古で、刀そのものの勢いに、我が身が連れられていくような体感とともに、数振りの愛刀を手入れしているなか、刀身が鉄というより、水、清流そのものでできているような錯覚を感じることがあるからで、不思議なものだ。

刀は、未知なる何かを引き出してくれる不可思議な存在だ。その凄さ、美しさに見合うだけのとぎすまされた心身にならねば恥ずかしい、と自問自答している。

弘前の旧藩士家に残された小野派一刀流剣術伝書のなかには、剣の理合を、世界や宇宙の構造、天体の仕組みにまでつながるものとして解説しようとしている伝書がある。

つまり古人たちは、現代のように、あらかじめ指示された規格内からはみ出さないよう、収まって階級を得るために稽古したのではなく、

刀という器そのものを引導として、未知なる人間存在、現実世界の仕組みを探究することへと、開いていったのではないか。

煮詰まった、いまの時代を切り拓いていける剣はどちらだろうか。