学生たちから気になる話を聞いた。

剣道、居合道にはそれぞれ段位があるが、なんと、剣道の段位を持っていれば、少しの講習会を受けるだけで、居合道の段位がもらえるというのである。

しかし実際にはどうだろうか。

いくら剣道で竹刀稽古に励んでも、制度上は、実際の刀を一生触ることがなくても大丈夫だから、刀の基本的な扱い方さえ全くわからないものだ。

でも、刀に対する憧れはあるし、部外者からは「剣道をやっているから、あなたは刀を扱えるはず」という期待が寄せられることがあるから、知らないとはいえず、胸を張りたい…。

そのような矛盾と葛藤は、私も元剣道部員だったからハッキリとわかる。

それで居合をわかるはずがない。すると、帯刀の仕方、鞘から抜き差しすることすらわからないまま、制度上、居合道「有段者」となってしまう現象が生じる。

これはあまりに奇妙だ。わたしだったら、やましくてとても耐えられない。

実際に最近のある大会で、剣道七段の方々が、模擬刀で日本剣道形を演武したが、基本的な帯刀や刀の抜き差しができず、納刀で刀を逆に入れてしまい、やり直す光景を見て、居合道を稽古している学生達は驚いたという。

数年前、私自身もある大会で、剣道七段に昇段したばかりの方が、これから青少年の前で、剣道形を模範演武する直前になって初めて、控室で先輩に、帯刀や納刀を教わっている光景に出くわし、あまりの大胆さに絶句したことがある。

剣道有段者は自動的に居合道有段者になる、というシステムは、双方の組織成立の歴史的背景とパワーバランスが反映されており、一方で居合道普及のための苦肉の策だったのだろうが、

まじめに居合道に励まれている方々に対しては、かなり失礼な制度ではないか。

かつ、少しの講習会だけで段位を授与する行為自体、指導者側に「帯刀や抜刀、納刀の基本所作だけできれば居合有段者にしていい」という、あまりに安易な技術観が横たわっている気がする。

居合はそんなものではなく、もっともっと芳醇な理合があるはずだ。(ましてや「刀を抜いたら、あとは腕力でブンブン振り回せればいいのだ」という単純な技術観ならば論外である)

組織的な背景を知らない若い居合道人にとっては、刀を使ったことがない者が、同じ段位かそれ以上の段位を認められるというシステムに、自らの努力や尊厳を否定されたかのような腹立たしい思いがするのではないか。

それは、同界の普及策とはならず、逆に失意と、離脱者を生むのではないか。

心ある指導者が、是正すべき問題ではないだろうか。