形が何を指し示めしているのか。

例えば、林崎新夢想流居合は、正座する打太刀に向かい、その両膝の間に我が膝を入れるほど密着し、扶据(ふきょ)という片膝を立てた座法をとり、三尺三寸の長刀を抜き操作する。

これを即物的にとらえ「戦いでそんな状況はありえない。実際はもっと遠い間合いから抜刀して切り込むのではないか」と疑義をはさみたくなるだろう。

または、あまりに近接して刀が抜きづらいので「柄当てなどの当身を入れて、のけぞらせて抜刀するのだ」という解釈も出てこよう。

体術でもそうだ。「なんで最初から掴ませるのだ。普通ならばその前に逃げるぞ」「当身を入れて驚かせてから返し技をやるのではないか」と疑いたくなるものだ。

それならば、最初から形を捨ててしまい、自由に打ち合った方が効果的である。

そうやって、古伝の形たちは変容し、打ち捨てられていった。

捨ててしまうのはいつでもできる。その前に、古い形が示す拘束、不自由さが、何を稽古人に暗示しているのか、耳を澄ませることが必要ではないか。

もしかするとその違和感こそが、大きなヒントかもしれないのだ。

林崎新夢想流居合がなぜ、あれほど近接するのか。

三尺三寸という長い刀を、遠い間合い、広い空間で抜き操るのは、誰でもできる。

しかし、近接した間合い、打太刀が持つ九寸五分の小刀が有利な場(柔術小具足等の間合い)においては、長刀は詰まって動けなくなってしまう。

よって、あえてそのような不利な間合い、自らの致命的な欠点に身をおき、相手との関係性のなか、自ずと心身が拘束されていくときに、いかに自由自在を得ていくのか、という課題が求められているのではないか。

戦いにおいて、なるべく我に有利な状況へと持ち込んでいくのは常識だが、そのような有利なケースばかり知っているものは、それが突破されてしまったとき何もできなくなるだろう。 

そうではなく、最初から最もまずい状況を知り、そこを突破する工夫をしていれば、どうなればそうならないか自ずとわかってくるし、もし最悪の状況になったときでもなんとかするというハラが据わってくるのではないか。

古伝の形稽古には、そのような先人たちの逆転の発想が込められている気がする。

弘前藩の林崎新夢想流居合(映像)https://www.youtube.com/watch?v=ewlKZ8g6LvM