部屋を片付けていて、十数年前に買った武術本、笠尾恭二「きみはもう「拳意述真」を読んだか」が出てきた。

19世紀末から20世紀初めに活躍した内家拳の達人、孫禄堂の教えだ。

当時は、難解で全く理解できなかったが、いま再読すると大変興味深い。

形意拳要訣 第七則」には、

「足で打つこと七分、手で打つこと三分。五行四梢(身体内外)のすべてを合わせよ」

「人を打つことあたかも歩むかの如く、人を見ることあたかも野草の如くせよ」

とあり、家伝剣術の教えや稽古と似ている箇所が登場する。

特に後者の教えは、単なるきれいごとや精神論に見えるだろう。

しかし実は、前近代の武が多用した、かなり具体的な技法、身体の状態を表現している。小刻みに踏むフットワークの限界を脱し、相手からの連打、対長物との不利さなどを乗り越えていける、かなり効果的な歩法なのだ。

これは、気が付けば「まつ毛の先にある」ような身近な技法なのだが、己のこだわりと相手への闘争心がそれを曇らせる。家伝の教えと形がなく自由な地稽古だけやっていたならば、頑迷な私は永遠に気づかず、フェイントとステップを繰り返し、いつも心身はやきもきし、やがて加齢による衰えで稽古そのものをあきらめていたろう。

いや家伝だけではない、往時の津軽の各古流でも当たり前に使っていたこと、日本の各古流でも説いていることが出てくる。

日本では「無言の教え」だったものを、明快な言語と理論で説くからこそ、中国拳法に魅せられる人が多いのだろう。特に現代は、あらゆる場面で言語を重要視する社会となったから、ますますその需要は高まるかもしれない。

それにしても、同じ東アジア文化圏とはいえども、それぞれ国も文化圏も異なり、独自の歴史を歩むなかで、どうしてこのような共通するような理合を説いていたのか。

それは国と文化は違えど、向き合っていたものが同じだったからではないか。

もしも、ともに競技だったらどうだろう。文化が違えば共通性は薄れる。それぞれ人が考えた個別ルールごとあり、その世界のなかで通暁しても、種目が変われば無効となる場合も多い。

たとえば、野球ルールでサッカーはできない。また同じ武道でも種目が違えば「正しい構え」や有効打突も勝敗の判定もそれぞれ異なる。ましてや競技で使っている身体技法の多くは、我々の日々の暮らしとは全く別個の形態が多い。

だが前近代の武は、日々の暮らしや現実世界、人間存在そのものを対象として熟成された。

「種目や土地が変われば使えません」では許されなかったろう。ましてや「プールと海は違うから泳ぎたくない」「今日は野外で演武するから道場と違ってやりにくいなあ」では済まされなかった。

人の歩行のように、平野だろうと野山だろうと、晴天だろうと荒天だろうと歩んでいかなくてはならなかった。日常の行住坐臥の身体の延長に武技が形成された。だからこそ戦いのみならず、生きること全般につながった。

すなわち、古い武とは、この小さな我が身を通じて、人と世界のことわりを学んでいく優れた方法なのだ。