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実家の庭には、二十四畳の稽古場があり、24時間いつでも稽古できる。
父や息子たちなど家族の稽古、お仲間との稽古…。
建ててくれた亡き祖父母に感謝。
特に、まわりの安全等を全く気にすることなく、真剣を思い切り振り回して、ひとり稽古ができることに感謝。
日が落ちてだんだん暗くなってくるが、そのまま明かりもつけない。闇の方がより見えてくるものがある気がする。
かつては暗闇に仮想敵を感じて稽古したが、それだけでは何か足りない気がする。
家伝剣術では、目をつむって稽古し、己の心身の虚に気づいていく方法があった。
おそらく、ひとり稽古とは、空想のなかの戦いばかりではなく、己の心身の従前のありようを見つめなおし、転換していく作業の方がいいのではないか。
夢中になっていくと、ふだんの心身や空間の常識の輪郭が溶けていく。愛刀をキーにして、自らの内外に広がる異界に深くつながっていく。意外な世界を拓いていく。
一キロを越える重い愛刀を使いこなしたいと思いながら、なかなか違和感を消せずにいたが、今日は変わった。先週の稽古でM氏から聞いた「身体で刀を止める」話からふと気づくことがあった。
いままで何度も聞いたことがあるが、いまひとつ理解できなかった。今回は違う。
重い鉄棒や木刀を何度も振って腕力をつけるのではなく、
体から生えている刀、構えを、腕だけで暴走させるのではなく、体幹で操作すること。すなわち末端の変化と、中心の変化が一致していること。
そのためのメルクマールとして、構えと我が体幹、胸や背中との位置関係があろう。これは家伝剣術が説く「権衝」ではないか。
すると、速さと軽やかな連続変化が可能となり、刀そのものの重さや急ブレーキ、急発進による己の身体への加重や負担が消えるようだ。
これは面白い。やっとこの刀とつながることができた。