実家庭の稽古場。

T氏にお相手をお願いし、数か月ぶりに甲冑を着て、刃引き刀で、家伝剣術組太刀および林崎新夢想流居合立抜刀の組太刀稽古。

10月4日の青森市ワラッセ公開講座で演武するためだ。

今回は兜のみ外して鉄鉢か烏帽子を被った、より機動性の高い小具足姿でやろうかな。

刃引き同士で斬り結ぶから、少しでも気を抜くと大怪我となる。

以前は、甲冑を着て稽古すると、その不自由さに呻吟し、あちこち疲れたものだが、なんとまあ、いまはほとんど違和感を感じなくなっているのは不思議な。

とくに最近、気づいた剣と身体の関係、操法が効いているようだ。身体の重さだけではなく、重い刃引き刀の重さや慣性力の操作が和らぎ、速くラクになった気がする。

よく「甲冑を着ると重くて動けないはずだ」という人がおり、近年はコスプレ用の軽い甲冑まで販売されているようだが、それはもったいない勘違いだ。

実際に着て動いてみればわかる。

(もちろんそれはドッシリ両脚を踏みしめるような身体ではなく、浮きと沈みが両立しているような身体である)

例えば甲冑を着て走ってみよう。不思議と甲冑の自重が我が全身を引っ張ってくれるような流れが生じるもので、それに乗っかれば、自動操縦のような走りになっていき、ラクなものだ。

また顔を覆う面頬という防具があるが、ときおり、その鼻先部分が、あたかも魚の頭のように、我が全身の方向性を決めるセンサーのような感覚が生じることもある。

ほかにも体幹をねじることができなくなり、かつ四肢すべてのまとまり感が高まる。

どだい、往時の武士達は、この甲冑を着て命のやりとりをしたのだから、使いにくいわけがなく、むしろラクに動けたはずで、ある部分は固定し、ある部分は自由にし、あたかも大リーグ養成ギブスのように、着用することで身体能力が引き出されたのではないか。

だから、これを着て稽古することは、往時の武士達の身体技法の規矩を、全身で感得することになるはずで、着てラクになるほど、それに近づいている証左ではないかと、ひとり楽しんでいる。

(小野派一刀流故笹森順造師範も、剣道防具は甲冑の構造を模して発明されたという伝承を紹介している)

2年前、弘前においでになられた、韓氏意拳日本代表光岡師範にもご案内し、T氏愛用当世具足を試着していただき、私も甲冑で剣槍や柔術稽古をご一緒いただいたときは、その感覚に大変喜ばれていた。

以上、私の甲冑はあくまでまじめな稽古用であって、くれぐれもコスプレではない、ということを、皆様には理解していただきたいものである。ホントに。