竹刀稽古の応酬で「攻め勝って打て」「心が動かされた…」という稽古は奥が深く、私などは永遠に堂々巡りになりそうだ。

しかし実は、それらの探求をじっくりと堪能できるためには、相手も我も、同じ技術を使うこと、あらかじめ打突部位が定められていること、という前提条件が必要だ。

つまり、互いに同じ技法世界を共有しているからこそ成立する。それは競技性ともいえよう。

しかし、それらが成立しない場合、すなわち相手が我と全く異なる体系の技法であり、異種武器、打突部位の制限もない…、

これは競技たりえない。まさに異質な存在と向き合うという武の特性だ。

となると、「攻め勝って打て」「心が…」は、戦いの要素の一部にしかすぎず、それらばかりに注視していることはできなくなる。さらに多種多様な理を…。

往時の武士達は、そのような多様かつ過酷な状況が当たり前であった。そのなかで武を磨いた。

わからない存在に向き合う知恵と技法とは、いったいどうすればいいのだろう。

あまりに困難であるが、ともかく、私は限られた世界ばかりではなく、様々な世界も体験したいという欲求がある。

いろいろもまれ、失敗しながら、新しい世界に目が開かれていく楽しさよ。