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定例稽古。
H先輩に小野派一刀流剣術「詰座抜刀」を習う。
わが北辰堂(青森県弘前市)の代々の剣道師範が伝承したきたものだ。
林崎新夢想流居合と技名も技法も類似しており、それを新たな視点から学べる。
そして外崎源人氏が考案された袋竹刀「源悟刀」の新型で地稽古。
普通の竹刀ならば、堅牢さを選べば、組み合ってからつぶしていくような体術技法も稽古できるが、自由に打ち合うには痛くて危ないから、防具が必要となる。
一方、打ち合っても痛くない柔らかい袋竹刀を選べば、ソクイ付けなどをやるとすぐに竹刀が折れてしまう。どちらかを選ばなくてはならない。
だがこの源悟刀の新型は、両方が成立する。
防具なしで自由に打ち合っても痛くない柔らかさがあるうえに、竹刀同士組み合ってソクイ付けや体術技法へ持ち込んでも折れない堅牢さの両方を備えている。
しかも驚くべきは、実際の刀のように反りがあり、柄が楕円形をしている。よって打ち合っている最中も、刃筋が立っているのか自ずと感知できるのだ。
また一般の竹刀や袋竹刀は、打ち合う稽古を重ねていくと消耗が激しく、すぐに交換が必要となるものだが、
この源吾刀はその何倍も耐久性があり、かなりのヘビーユーザーでも、内部が消耗して交換することをほとんど心配しなくていい感じだ。
それを使って、打突部位も技も無制限の稽古。私が元立ちに立ってみなさんに自由に打ち込んでいただく。
袋竹刀は安全なのだが、念のため、顔面と喉を覆うような薄いマスクと、指が自由に動く薙刀用小手や皮手袋だけ付ける。
やはり地稽古は大変勉強になる。天才ではない私が、打たれ、失敗するなかで、独りよがりから抜け出して目を醒ましてもらう教えをいただく。
打たれながら、私も普段の工夫をいろいろ試行させていただく。特に小太刀や槍、薙刀などの異種武器を相手にする地稽古では、基本とされる現代の「正しい構え」「正しい姿勢」が通用しなくなるから大変勉強となる。
防具なし、打突部位制限なしの袋竹刀稽古の良さは、直立して中段ばかりが構えではないということを教えてくれる。
古来から、上段や下段、八相、陰、脇構え、霞など様々な構えがあるが、それらは固定的なものではなく、相手との関係のなか、場の状況、相手の人数、それぞれの武器の特性に応じて、次々と変化して遣っていくものであり、これしかない、と決めてしまう者は敗れるしかないだろう。
その感覚は、一般的な形稽古ばかりではなかなかわかりにくい。また、中段の構えだけでしか地稽古をしたことがない場合についても、その他の構えの実地については、やはり活きたものとして体得するのは困難であるといっていいだろう。
ねぶた師でもある外崎氏は、ふだんから絵筆遣いと剣技には共通性があると言われていたが、今日は彼の打ち込みを受けながら、なるほどとその通りだと感じた。
複雑な曲線を描くように袋竹刀を走らせて打ち込んでくる。このように変化する太刀筋は、竹刀剣道地稽古では体験したことがなく、シラットなどのアジアのナイフ術も連想させ、絵筆のようにその途中で、流れが止まっていないから、なかなか対応しにくくて勉強になった。
書で必要とされる動きこそ、三次元方向で、流れをとめないという点において、古い武術の動きと共通性があるのではないか。
一方で、体幹とつながった斬りを試行していた我が太刀筋が、その分、単調な動きになっていたことに気づかされ、反省。
翌日は実家庭で、先祖が使った真槍と薙刀を振って少し稽古してから、それを斧に替えて薪割り。
前回の古くて固い薪は、まるで岩石を割るように骨が折れたが、今回の新しい生木は割りやすくて楽だ。
気持ちいいくらい刃が入っていき、刃筋を立てる刀法のいい稽古になる。