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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

先週は、第5回鹿島神宮奉納日本古武道交流演武大会(主催 日本武道館日本古武道協会)父と二人、家伝剣術で出場した。

約20年前にはこの地で、亡き祖父と父、我の三代で演武した。

さらにその20年前、私が生まれる前には、祖父と父が演武に来ている。

開祖生誕の地、ここから我が家代々の宿命が始まったのかと思うと、格別な思いがする。

前日の午後は、神社境内の武道場に集まり、流派を越えた術技交流会があった。

各流儀の多彩な技法を目の当たりにして大変勉強となった。

多彩な動きばかりで、現代武道から見れば摩訶不思議に見えるかもしれない。

だが、前提条件である打突部位制限やルールをはずして、実験稽古してみればわかる。

それらの形の所作のなかには、袋竹刀や薙刀、槍などを使った地稽古中に思わず出現する所作を発見したり、流派を越えて共通するような体の遣い方があって「やはりそうか」と膝を打つこともあり、「そのような遣い方もあったのか」と目からウロコが落ちるような遣い方もあり、大変有意義な時間だった。

終わって境内を歩いていると、奥宮へ向かう参道の森は真っ暗な闇の世界だった。

しかしそれは恐ろしい闇ではない。

とても深くて濃く、清明かつ芳醇な世界。

特別な意志はないが、暖かくこちらへ開かれている感じがした。

古代から連綿と続く武の遺産がそこかしこに漂っているかのような。

あの闇のなかに包まれて、一晩中、刀を振って稽古に没頭してみたいと強く感じた。

そうすれば、闇の中に潜んでいる多くの存在が、必ずやいろんな気づきをくれるはずだ。

その夜は、ひとりホテルの部屋で木刀を振りたくなった。

幼い頃からいろいろ考えていたことについて、ふっきれた。

やはりそれは己が自身で答えを出すべきだとわかった。

歴史は、尊敬はするが頼り切ってはいけない。いまここから新しく始めることだ。

やれるだけやろう。

当日は、まずは奥宮へ参拝。かしわ手を打ったが、何か特定のことを祈願するなどおこがましく、ただ己をまっさらにして立つだけだと感じた。

演武となった。四方を取り囲んだ観客とともに、あまりの舞台の狭さに落ちるのではないかと。

演武中、ふと、まわりの方々のあまりの静けさに、誰もいなくなったのではないかと思った瞬間があった。

終わってから数名の方々が近寄ってこられ、お褒めの言葉を賜り、恐縮する。

心身ともに清々しいチカラをインストールできた。

また来よう。 

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