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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

11月21日金曜日未明、当会の中核的存在だった「無刀氏」こと、加川康之氏が永眠された。

ちょうど私は、弘前大学附属中学校へ、古武術の出前授業に向かっている途中、携帯電話が鳴り、あまりに早いお別れに愕然とした。

数日前、病床にありながらも「こうなって初めて、本覚克己流和先代師範が修得していたという技がわかった気がする。病院の方々は遠慮がちで検証にならないよ。小山さんは力持ちだから、本当に効いているかどうか確かめにきてください」と電話があった。

駆け付けたが体調が優れずに面会は叶わなかった。

さらに、ここ数日、加川さんは病床でしゃっくりが止まらなかったと聞いていた。明け方、寝床で私もしゃっくりが起こり、同氏のことを思い出した瞬間があった。いま思えば「ご挨拶」をいただいていたのか。

今日は、彼のためにしっかりやろう、チカラを貸してださい、と誓い、学校へ入り、全力を尽くした。

加川氏は、10年前か、当会設立の頃、甲野善紀師範弘前稽古会でご縁をいただき、まもなく北辰堂での稽古にお見えになられた。

「刀法を学びたい」とのお話だった。

骨太で胸板厚く、肩幅広く、まるで西洋人、ジャンレノのようなガッシリとした体形であるうえに、柔道、中国拳法、ボクシングなど様々な武歴を持たれていた。

ちょうど体術の経験に乏しかった私は、息子ともども受け身から教えていただいた。

一級建築士、整体など、博学かつ鋭い分析力があり、卜傳流剣術、林崎新夢想流居合、當田流棒術、本覚克己流和などの検証稽古では、常にその中心だった。

我々はいろんな試みをした。ときに厳しく、ときに励ましを、その妥協のない探究によって、多くの技が魂が吹き込まれ、蘇っていった。

あのとき、衰退した古武術の再興という、巨大な壁に向かって無謀な掘削を繰り返していた我々が、これほど展開することを誰が予想できただろうか。そのエンジンは加川氏であった。

夜の冷たい道場で、何度稽古で胸をお借りし、何度深い気づきをいただいたのだろう。同志であり師でもあった。

我が家伝剣術卜傳流剣術「生々剣」が、我が身から発現したのも、深夜、北辰堂で加川氏に打太刀をとってもらったときだった。生涯忘れることができない大転機である。

義理人情に厚く、困っている人があればすぐに助けにいくその無償の背中に、わたしは何度も教えられ、首を垂れてしまった。また屈強でありながらもシャイな面もあった。

ともすれば、地域だけにとどまってしまいがちな修武堂の活動を、幅広く日本各地のネットワークへとつなげてくれたのも、加川氏の人徳であった。

共に闘おうと誓いながらも、果たしていないことがまだまだたくさんある。

とくに晩年は本覚克己流和(やわら)の研究稽古をライフワークとされていた。

そのなかで、これほど大きなチカラを失った。我々はその悲しみにつぶされそうだ。

しかし、いつまでもそれでは、加川さんに「しっかりしてくれよ」と叱られるだろう。

大自然へと還っていかれた加川さんは、もういかなる武技や天災にも侵されることのない、永遠の存在、無敵の存在となられた。

いまごろは、天にいる武術・武道の先達たちともに、極意談義に夢中になっておられることだろう。いつものように、あのノートにスケッチ付きで、メモされているかもしれない。

いままでそうであったように、これからもご家族と我々稽古仲間を導いてください。

本当にありがとうございました。

心より感謝とご冥福をお祈り申し上げます。

拝 武術研究稽古会修武堂 主宰 小山隆秀(卜傳流剣術継承者)、古剣  

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