古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

「夫れ兵法の要は、心行一致を要とするものなり。近世の剣術、木刀、シナイの軽きをもって、速疾の作りをなし、己に難無くして人に勝たんと欲す。(中略)是は剣術の実にあらず。世人かくの如く奇変を見て、多くはこれを好みとす。これ愚の至りなり。(中略)予が家伝は、実を本として(中略)敵に逢いて則ち滞り無く流水の如く近寄って、まさに首股、骨肉を替えんことを本となすと。

(中略)しかれば敵にむかって少も退く事なく、ただ身命をなげうって深く踏み込み、敵の太刀の鍔元あるいは拳にてうたるる覚悟専一なり。打つつぼを外れ鍔元にてうたるる時は、肉も斬るることなし。しかる時は利あり。この如くの心境は諸流共に口には言うといえども、心実に知る人稀なり。よくよく心得て執行あるべし」

(「当田流太刀許之巻五」(太田尚充『津軽の剣豪 浅利伊兵衛の生涯』2011年、水星舎))

当田流(當田流)は、我が父祖たちも習ったご流儀だ。

これを読んで、昨日、あまりに状況設定が困難な家伝剣術「折身」五本目を、袋竹刀で遠慮なく打ち込んでもらって研究した稽古を思い出した。

おそらく、前述の古文は、現代武道の世界観からすれば、よくある精神論、「とにかく突っ込め」という気合、または一体なんのことか全く理解できない「お経」に見えるだろうか。

私もそうだった。「一体これから何を学べばいいのか」と。

しかし、これは真に具体的な術理を解説しているということが、ようやく理解できてきた。

17世紀の弘前藩の剣豪、浅利伊兵衛は、諸国武者修行における数度の真剣勝負等で、まさに前述の教えを、実地で何度も体現してみせたという。

そのレベルに遥かに届かない、拙い我々の稽古でも、具体的な手がかりは形のなかに埋め込まれている。

先人たちは、形を「こうすればああなる」といった単なるマニュアルや戦術として残したのではない。精神論でもない。ましてや昇段試験や儀礼用、現役選手を引退してから始める権威付けでもない。父がよく批判している最近流行の見せるために誇張された演武でもない。

それらのような形ならば永遠に徒労だ。やらない方がいい。

形を、動きの原理に気づくための仮の器として、静かなメッセージに耳を澄ますことが必要だ。

一方で、地稽古、自由稽古、とくに制限や形式のある地稽古にも得失がある気がしてきた。

それに習熟するほど、自由になるかと思われるのだが、ある面では、とっさの瞬間に「この攻撃は有効打突部位に当たるか、当たらないか」を無意識のうちに峻別し、有効な打突部位に相当しない打ちには無反応となり、見送ってしまう癖がついてしまうからだ。

例えば、竹刀剣道の場合、肩や首元、二の腕、脛や下半身への攻撃を、目でとらえていながらも無意識のうちに「これは有効打突にならない」と、オートマティックに反応しないクセがついてしまうことがある。

競技としてのパターン、形を刷り込み、そのなかで熟練していようとも、実際の剣の場合、致命傷である。私も反省することが多い。

同じことは、競技として整備された各種武道や格闘技でもあるのではないだろうか。

だからこそ、武士たちの形は、マニュアルとして設計されたのではないはずだ。あらゆる状況や変化、動きを通底する原理に気づき、それを養うための手がかりであったはずだ。

とはいえ、実際の斬り合いがない現代において、全くその感覚を知らない私は、形をそのまま盲信し、崇め奉る稽古ばかりではなく、

袋竹刀による地稽古、真剣による抜刀稽古、刃引の刀や木刀による稽古等、様々な模索のなかから、古く見慣れた形に埋め込まれた先人たちのメッセージを解析するキーができてきた。

そのことで新しい気づきをいただき、前術の文章が美辞麗句ではなく、ありありとした術理解説として読めるようになってきたのだから、拙き我が回り道にも感謝しなくてはならない。