本日は久しぶりにみんなで林崎新夢想流居合の稽古。今日は「外物」

その前に、この居合すべての技を通底する所作について。

まずは扶据(ふきょ)という独特の立ち膝。

この座方の精度、整った心身を養うための優れた稽古方法がある。

扶据からの抜刀で、床に立てた扇を斬るものだ。17世紀の弘前藩主津軽信政が得意だったという。

当会外崎源人氏の妙技をご覧あれ。

https://www.youtube.com/watch?v=81dBwxbKDDk

同氏によると、浮身をかけ、身体が整ってくると、不思議にも扇が自ら地面に起立しはじめるのだという。やってみてみんなで納得。

そして、天横一文字から天縦一文字へ変わり、打方が我が喉を突いてくるのを立ち膝のまま右へかわしつつ、相手の左首を袈裟に斬る所作。

この頭上に横に構えた刀を、縦に変化させて、次に身をかわし…と、何度やっても、ぎこちないロボットにようで簡単に小刀に突かれてしまうものだ。袋竹刀でやってみればわかる。徒労に終わる。

私が林崎新夢想流居合の手ほどきを受けたI先生も、不可思議な所作だと感じ、先師故寺山龍夫師範へ尋ねたところ「そうやれば斬りやすいものだ」という回答が返ってきたという。

それでも愚鈍な私は、長らく腑に落ちなかった。

この難しい課題について、一昨年前から私は、家伝剣術「生々剣」のような斜めで攻防一致の太刀筋で解決をはかったかと思っていたが、昨年末からさらに異なる展開が芽生えてきている。

これは、家伝剣術の構えの基本的構造の口伝(先祖は林崎新夢想流居合師範もやっていたから術理は重なっているはず)、林崎新夢想流居合の影響があるだろう小野派一刀流剣術(小舘俊雄伝)「詰座抜刀」の天横一文字から天縦一文字への変化に関する口伝、神道無念流剣術竹刀稽古の独特な切り返し、諸流でもやる衣紋斬り…などで共通するものを感じたからだ。

これで林崎新夢想流居合の天横一文字から天縦一文字を見直すと、間欠が消えるばかりではなく、常に刀が我が正中線を守りながら巡るような構造が発生するようだ。斬りと一致して、我が身体全体がまるで大きな流れに乗せられて自動的にさばくように持っていかれる現象も発生する。

いや、まだ自分でもその動きの仕組みが把握できておらず、分析しようとすると歯がゆい。

しかも刀の重さが消え、刀を振っている力感がなくなるので、本当にこれでいいのかと、慣れずにとまどっている。

だが、袋竹刀同士での剣術の地稽古(自由打ち合い稽古)の攻防中に試してみたが、いつものような、力感ばかりの軍鶏の喧嘩のような打ち合いとはハッキリ異なって、涼やかに気持ちよく技が通った瞬間があった。

なんと、座ったまま稽古する林崎新夢想流居合で培われた身体は、立った剣術の試合稽古にも応用できるのだ。いや、やはり、なのだ。しかし案外、近現代の修行者の多くが忘れた効能ではないだろうか。(わたしはなんと、この居合でゲレンデスキーのターンまでも上手くなったのである!)

私見であるが、現代剣道では、切り返しや胴打ち以外は、常に上から垂直に相手を打つことが正しい「刀法」であるかのように厳しく教えられるが、実際の刀法はそれだけではなかったろう。

かつては、もっと多彩で三次元構造であった剣術刀法を、わかりやすく普及性をはかるるために、かなり空間的にも簡素化したものを我々は教わっているのではないか。そのために失った理合も多いだろう。

単純化した刀法は、パワーとスピードの競争による正面衝突、相打ちとなりやすく、実際の闘争では危険性が高くなり、実用には耐えられなくなる気がしてならない。

今後もまだまだ工夫していきたい。

(告知)

昨年12月に東京都多摩市で開かれた、各古流武術による交流会ですが、次回大会は、当会主催にて、2015年9月19日(土)~20日(日)1泊2日で、青森県弘前市内での開催を計画しております。詳細が決まりましたら改めてご連絡します。各位のご参加をお待ちしております。修武堂主宰 小山隆秀