林崎新夢想流居合の天横一文字から天縦一文字へ、構えが変化するなかで発生する攻防一致の太刀筋。

それが、なにも新しい発見でもなんでもなく、家伝剣術、そして新陰流や鹿島神流など諸流でも当たり前に遣ってきた技法であったことに気づき、まるで新しく発見した子どものように喜んだ己が滑稽で苦笑してしまった。

先人たちはとっくの昔にやっていた理合。

それが時代のなかで砂ぼこりをかぶり、輪郭がぼやけてしまっていたのを、たまたま発掘しているにすぎない。ということは今まで何度もあった。

しかしそれも、己の拙い歩みが間違っていない、という励まし、喜びとなる。

それでも、このように頭上で刀を旋回させるようにして攻防一致かつ途切れない刀法は、直線上の接触の速さを競うあまりに、実際の刀剣ならば、いや棒であっても防具無しならば、互いに相打ちばかりとなるような、危うい応酬が終わらない竹刀稽古

(私は幼いころから剣道稽古でその違和感が禁じえなかったのだった)、

家伝剣術いわく「当たるか当たるまいかとメクラ打ち」から脱却するための大きな手がかりとなりそうだ。