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またひとり、当会の中核的存在だったF女史が、津軽を離れることになった。
合気道に優れ、身体の反応が速く、袋竹刀を交えたときには、剣道家とは異なる精妙な手を遣われ、私は大変勉強となった。
仙台に行かれても、我々との武縁は続くはず。新しい天地でのご活躍をお祈りします。
さて、3週間ぶりに稽古着に袴をつけた。
なんと気持ちいいことか。ようやく己に戻れた気がする。
稽古のお仲間達がまだこないので、思いのまま薙刀を、三尺三寸の長刀を振って独り稽古。
この重く長刀で、立抜刀や家伝剣術をやっていると、いろんなことを教えてくれる。
腕のみで刀を振るのではなく、体幹や脚部の連動で操作することの必要性が。
そして、林崎新夢想流居合の天横一文字から天縦一文字、袈裟斬りへと変化する独特の刀法は、やはり何かを導いてくれる予感。
おそらくこの刀法は、当流だけではなく、かつて各流で当たり前のように遣われていたありふれた常識的技法だったのではないか。
近代以降の我々が、よけいな整備をしてしまい、忘れてしまっただけだろう。
ともかくこのように、自ら力感がなく、どうなっているのかわかりそうでわからないような、掴めそうで掴めないような、むず痒い所作であるとき、技の大きな質的転換があるものだ。
そんな技法は、我は手ごたえがないのに、いろんな人の個性や強弱に関わらずに、スーッと通っていくものだ。
でもまだその姿は見えない。要検討か。
そのうち、これは頭上ばかりではなく、下方でもできるのではないかとやっていたら、いままで知っていたはずの斜の構えが、かなり新鮮に感じられてきた。
斜の構え。竹刀剣道では「脇構え」というが、実際の遣い方については全く教えられない。
修行者の多くは、この構えはとうてい実用向きではなく、日本剣道形用だけの所作だと思っている。
日本剣道形では、相手に我が刀の長さを悟られないようにするため、刀を背後に隠すように構えるのだ、と教えることがある。
だが、へそ曲がりの私は、そればかりではないはずだと思ってきた。
なお、古流の各伝書では、車輪のように巡るから「車の構え」だと説明することが多い。
その教えが、具体的にはどのような理合を意味しているのか。長い間、腑に落ちなかった。
今回、それが少しわかったか。
つまり、斜の構えに、前述の林崎の独特な刀法を活かしたまま遣うと、初めて「刀が車輪のように巡る」という古伝が現実のものとして感じられてきた。
さらに体幹の変化を加えると、ひとりの敵だけではなく、複数の敵に囲まれたときには手がつけられない状態と化すことができ、かなり有効だろう。これは家伝剣術「変形」である。
この独り稽古を、組太刀や袋竹刀地稽古などの対人稽古でも検証していきたい。
最近、若い人のなかには、和式便所でしゃがむことができない人が出てきたり、「正しい下駄の履き方を教えてくれ」などという、かつては全く出るはずもない質問が多いという。
ついこの間まで当たり前だった日常の所作が、いかに忘却され、当たり前でなくなるのかという現象をまざまざと知らされているようだ。
おそらく剣技についても同様であり、往時の武士たちにとって、いわずもがなの遣い方なのに、愚考を繰り返している私は笑われるに違いない。
どうすれば、それらを取り戻せるのか。
まずは和式便所にしゃがんでみればいいように、まずは下駄を履いて歩いてみればいいように、「正しいかどうか」という他人からの判定に囚われる前に、まずは刀剣を振って、道具と己の体に聴いていけばいいのだろう。
「正しい」という認可等を受けずとも、先人たちは危機を生き延びてきた。同じように我々もこのようにいまを生きているではないか。