古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

4月はいろんな行事が多かった。

まずは中学へ進学した息子が、剣道部に入った。

わたしのときと全く違うのは「親に強制されて」ではなく、自ら進んで入部したこと、稽古が「楽しい」ということだ。

この姿勢の違いは重要だ。その後の展開が全く違ってくるだろう。

そのうち私のように、古流剣術と現代剣道との関係に悩むこともあろうが、私以上に、幼少から多彩な稽古や武種、文物に触れてきた彼だから、楽しみながらも、しっかり乗り越えていくだろう。

そして、三沢市の米軍基地ジャパンデーでの演武。

以前、素面で袋竹刀で打ち込む稽古を披露したことがある。

しかし、現実の戦場体験がある米軍の方々には、バンブーソード(竹刀)はあくまで安全な道具であり、それほど関心がないようだった。

彼らにとってはむしろ、現代日本人がやらなくなった、木刀または刃引き、なにより真剣での抜刀の方が、リアルな共感を得るらしい。

これは「木刀や刃引きで寸止め稽古をやるよりも、竹刀でどんどん打ち合う方がリアルだ」と考えてきた現代日本の人々と異なる感覚だ。往事の武士たちはどちらだったのか。

そして4月26日、弘前城の桜満開のなか、旧笹森家住宅で武家屋敷イベントを開催した。

昨夏開催依頼、二回目だが、事前の打ち合わせもリハーサルも全くできていない。本番まで配役も決まっていない。

当方の準備がないない尽くしだったが、さすが修武堂の猛者達。

臨機応変、与えられた場で最高のパフォーマンスをされた。

「昨年よりもブラッシュアップされましたね」とのお褒めもいただいた。

なにより、依頼していただいたあおもり総合管理の代表自らが甲冑武者となって、弘前公園でビラ配りをしていただいたのには大変恐縮した。本当にありがとうございます。

好評のうちに終了し、さて一番の根本となる己の稽古に戻る。

数日前、重い刀を無理矢理操り、手首を痛めた。

そのため、イベントでの抜刀二太刀目はうまくいかなかった。

一方でこの痛みは、日常生活のなかで、小手先だけの悪い動きをしたときを教えてくれるサインとなってくれる。

そのなかで、ふと気づけた動きがある。

我々はよく、重い振り棒を何百回、何千回も振れば強くなる。上達すると思ってやる。

渾身の素振りを続けるなか、腱鞘炎になったり、関節が変形するまでに稽古された諸先輩方に首を垂れるとともに、根気の無いわたしはその方法に限界を感じていた。

全く逆に、古い剣術伝書には「刀を振るな」という不可思議な記述もある。現実の話しだろうかと理解できなかった。

だが、やはり刀という存在は、ある程度振ったら、こんどは振らなくなる方がいいのかもしれない。

抜刀用の1キロを越える重い刀を振りながらも、刀を「振らない」。

すなわち、刀が空中にあることを、重さで動こうとすることを、邪魔しない。

むしろそれを動きの火種として、寄り添っていく。

我にも、我でないものにも、それぞれの事情とことわりがある。

それをねじ伏せて、我が思いのままに操ろうとすることは、はたして万能なのだろうか。

それよりも、我とそれが相互作用して自ずと生まれた事情に、ことわりを活かした方が、より深く強く安定した大きな流れに載せられて、ことは自動的に進んでいくのではないか。

だが、こんなささやかな力で、方法で、はたして武技としての威力があるのかという不安。

息子と遊んでいるなかで、また気づきが落ちてきた。

手のひらを外旋させるか、内旋させるかで、我が身体の調和、構造的強さが全く違ってくる。

当方がそれほど力んでおらず普通にしているのだが、接触した相手にとっては固く重く感じるようだ。

以前から頭では知っていたし、武術では当たり前のことだろうが、中国拳法や日本の剣技が、なぜ手のひらを外側ではなく、内側にして構えるのか、その明らかな効用について改めて知らされた思いだ。

思えばこれは、人間が己を守ろうとしたときに本能的にとるしぐさに近い。

強いて求めずとも己が満ちて調和していれば、構造的な安定、強度が自ずと立ち上がる。

やはり武技は、耳学問ではなく、己の体を通して腑に落ちなければナンセンスか。

いにしえには、こんな剣の操法もあったのかなという予感。

もしかしたら、近代以降、忘れてきた刀剣の操法が浮かび上がってくるかも。

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