今年も、満開の弘前公園の桜が、実家庭の桜が、風に吹かれて散っていく。

毎年、早く桜が咲かないかなと待ち、

咲けば、そのまま長く咲いていればいいと願い、

散り始めれば、それが止まってほしいと願う己。

この時期、多くのカメラマンがやってくるが、もしかすると写真を撮る行為には、私のように目前の現象を永遠に止めてしまいたい、と思う願望もあるのか。

だが、この世に止まるものなど何もない。

桜が散っていくのも変化ならば、再び春が来て、桜が咲いてくれるのも変化があるからこその現象ではないか。

いまこの瞬間の己の存在そのものでさえも。

止めようとしても止められない。しかし、だからこそ、我は生きていくことができる。武も剣も同じだ。

祖父達は、変化のことわりを知るのが剣術の聖人だと書き残していたなあ。