林崎新夢想流居合一本目「押立」の初発刀は、「水平」か「袈裟斬り」なのか。

という質問をいただいた。

懐かしいテーマだ。

そのことについては4、5年前から、故加川康之氏との稽古のなかで何度も検証し、何度も修武堂ホームページで紹介した。

また、一昨年前、JR新青森駅構内で日本武道文化研究所主宰K氏ともお話でき、見解が一致したことがある。

つまり私の推測では「袈裟斬り」だと考える。

なぜならば古歌にある。(あれは単なる観念論ではなく、具体的技法の描写だろう。)

そして、同系統の有名古流居合でも同様の所作が見受けられる。

いや何より、稽古を進めていき、全身の連動が進めば、抜刀と左手の「非打」がひとつのものとなり、自ずと古歌にある袈裟斬りになってしまうのではないか。

そんな予感がしたとき古歌の意味がなんとなく思えてきた。

するとその後の天横一文字の構えまでが、自然にひとつの所作としてつながっていく。

すべての動きがまるで一筆書きのように、切れ目のない、付け込むスキがない精妙な動きとなろう。

それが形稽古特有の効能だ。

最初から自由な乱打、地稽古では永遠にその動きは出てこない。

以上、残念なのは、まだまだ私の腕前が、そこまで達していないことだなあ。