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古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

K先輩のお導きで、インディペンデント・ダンスアーティスト加藤範子氏(http://www.norikokato.com/)とお会いした。国内のみならず海外でも活躍されている高名な方だ。

よく、ダンサーの身体能力は凄いといわれる。

古武術でも、屈強な男性よりも、舞を習得されている女性の方が柔の技が通じない、ともいうらしいが、まさにその通りだった。

最初は、家伝剣術や当会の柔術稽古を楽しんでいただいた後、加藤氏ご自身の動きのほんの一部だけ示していただいたが、わたしたちは驚愕した。

素人の私がなんと形容していいのかわからないが…。直感的に述べる。

例えば、我々普通の人間は、二本足で地面に直立し続けていたい、と無意識に思っており、その意識が逆に己の身体を拘束している。私もそうだ。

だが、加藤氏の動きを拝見して、その自我の心身の拘束が解放されたとき、身体には上下左右もなくなり、自重と重力にゆだねながら、地面のうえを軟体動物かゲル状の球のように、変化しながら移動していけることを知らされた。

また、合気道などを参考に戦後まもなく開発されたという動きを教えていただいた。

2人組になって、互いに体重を預けながら自在に変化していくようなレッスン。

拝見していると、いろんなことが見えてきた。

まずハッと思ったのが、これは素手による短刀、ナイフ護身術の大きなヒントになるのではないか、という気づきだ。

なぜなら、心身の動きに水のように間欠や切れ目がなく、彼我の間に全く間合いが生まれない。

ということはすなわち、我が自由さを得られる空間、当方の武技が入り込む余地が封殺され続けていくのだ。これは大変厄介なことだ。

もしかすると宮本武蔵が「五輪書」で説いた「漆膠(しっこう)の身」や、いま流行りのロシアやアジアの武術とも似ているか。

そのような状態を体現しているのが刀剣そのものの構造だ。すなわち剣は、操ろうとする我々を、それと一体化できる、同じ心身になれと導いているのではないか。

反面に私の心身は拙く、間欠が多く、彼我との間合いも穴だらけである。それをカバーしようと、がんばるほど空回りで心身はボロボロになっていくだろう。

その不器用な我が心身が、質的な大転換をするための学びになるのではないか。

ことに家伝剣術、林崎新夢想流居合の形が、動きが、生まれた原初の場へと生まれ変わっていくことを追体験できるヒントが見えてくるのではないか。

そしてもう一点、神事や民俗芸能もそうだが、舞はひとりで完結するのではない。

心身を拓いてその場全体を感知してつながったり、場を和らげたり清めたりと、場そのものを変化させるチカラがあることを再認識させられた。

おそらくその能力は、かつての古い武にもあったはずだ。

いつも均質な競技コートとルールのなか、一対一の競技ではなく、見せ物や曲芸でもなく。

揺れ動き、どうなるかわからない危うい場所、不特定多数の人々が入り交じる戦場。

魔が来る鬼門に武士が配置されたこと、神官が武芸を生み出したこと、家伝剣術等に魔除けの術等も伝承されていたこと等もその証左ではないか。

我が身ひとり、外骨格に閉じこもるのではなく、中丹田を開き、外界へ開いて、その兆しを感知し、関与すること。

そうでなくては戦場で、混乱の社会のなかで、生き残ることはできなかったろう。

侵略の武ではなく、危険や邪悪を和らげ、清め、場を整える武が、剣があったのではないか。

その武の、剣の豊かさを、大きさを、再び取り戻したいなあ。

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