伝統の世界では、記念誌などを作ると、恩師の思い出と素晴らしさを語り、その教えを全く疑わず、絶対にその矩(のり)を越えず、ひたすら己の不徳さを述べるような文章を書かれる方が多い。

それはそれで美しいひとつの生き方である。

だがどうやら私は違ったらしい。

一般に「伝統」とされている世界よりも、さらに古い世界に生まれたのに、そうではない。ヘソ曲がりだ。

人が示してくれた完成ルートを歩けば安心なのに、なぜか疑問を感じてしまい、わざわざ己自身でトボトボ歩かなくては納得できない愚者だ。

なんとまあ、ご苦労さんなことよ。