古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

今秋「全国古流武術フォーラム2015-林崎甚助の居合を求めて-」を開催する。

なぜ津軽でこのような大会を開催するのか、不思議に思われる方もいらっしゃるだろう。すこしご説明申し上げたい。

林崎甚助重信とは、戦国末期に、抜刀術、居合を生み出した剣豪である。

彼が残したという基本稽古をご紹介する。現代の我々にとってあまりに過酷な状況設定だ。

まずは、相手と身を接するように向き合いながら座る。

我は、扶据(ふきょ)という低い立ち膝のような座り方。

相手は九寸五分の短刀。我は三尺三寸という長い刀を帯びている。

これは、剣豪佐々木小次郎が背中に背負っていた得物と同じ長さらしい。

このような近接戦闘において、短刀は自在だが、長い刀は詰まって全く動けなくなる。

そのような不利な状況下、相手が短刀を抜き、突いてくる一瞬を、我は三尺三寸を抜いて封じるのである。

伝説によるとこれは、剣技と柔術をつなぐ技法として求められ、居合となったという。

現在、開祖の生誕地である山形県には、林崎明神と林崎甚助を祀る林崎居合神社がある。

さらに全国各地には、林崎甚助を流祖とする古流が複数あり、それぞれ高度な技を伝えておられる。

実はこの弘前藩にも「林崎新夢想流居合」という名前でその伝承があった。

藩内の當田流、小野派一刀流、卜傳流などの異なる各流でも併伝していた。

「當田流居合」「詰座抜刀」と呼び名をかえて流儀に組みこんでいた。

また、この居合をベースに、本覚克己流和という藩独自の柔術まで生み出された。

つまり、弘前藩士達にとっての林崎新夢想流居合は、流儀を越えて学ぶ共通の武芸であり、さまざまなことにもつながる豊かな術理が内包されている技芸だったのだ。

よって、現代の我が修武堂でも、林崎新夢想流居合は、みなさん共通の武術なのである。

近代までの津軽には同流師範家が複数あった。我が家でも大正期までは、家伝剣術とともに、この居合の師範家として門人をとっていた。

弘前藩旧記伝類」などの弘前藩各史料や、太田尚充氏の研究『弘前藩の武芸伝書を読む―林崎新夢想流居合・宝蔵院流十文字鑓―』(水星舎、2010)にも、林崎新夢想流居合師範としての先祖達が出てくる。

明治生まれの祖父秀雄もその環境にあり、旧藩時代の師範家だった高祖父たちに武技を習い、近代剣道も藩士七段までやった。父秀弘も剣術を学び、剣道は教士八段まで取得している。

しかし私は、家伝剣術や剣道は幼少から厳しく学ばされたが、同流居合については断片的な伝承でしかなかった。

二十年前だろうか。

居合道の先輩方が、同流の復興を目指し、実技の研究をされていることを知った。

そのうち、家伝剣術稽古がさらに本格化するなかで、先祖達が併修していた林崎新夢想流居合も学べば、より深まるはずだと希求の思いが強まった。

そこで先祖達が残した近世の同流伝書群や伝承、近代の師範達が残した記録などをかき集め、居合道有段者の先輩との研究稽古を始めたのだった。

そのうち稽古は私ひとりとなってしまった。

それでも故寺山龍夫同流師範の門弟I先生が近所に住んでいることを知り、わたしの研究稽古がはずれていないか実技を見てもらったことは幸甚の極みだった。

それでもとくに、独特の座法「扶据」については、一瞬の応変に間に合う居合の技としてはどうしても納得できず、武術各流への造詣が深い甲野善紀師範にもご意見を頂戴した。

やがて修武堂を設立し、故加川康之氏、下田雄次氏、外崎源人氏ら各位の並々ならぬご協力をいただきながら、ここ10年で稽古がどんどん展開していき、現在にいたっている。

それでも、開祖や先人達が示した境地は、まだまだ遙か地平の向こうにかすんでいる。

一方でこの居合には、独特のおもしろさがあることだけはわかってきた。

まずは、現代では失われてしまった古い身体技法がたくさん含まれていることだ。

それだけに難解で、無理にやると体を壊す。

それでも、その動きが心身ともに腑に落ちたとき、全く見知らぬ己に気づき、身体の汎用性が高くなっていることを知るだろう。

私は、立って抜けなかった三尺三寸刀が、同流独特の座法で抜けるようになった。なぜかこの居合稽古で、現代の柔術やスキーがうまくなった方もいる。

次に同流の稽古は、いつでもどこでもできることだ。

特別に体育館を借りなくても、雨や雪の日でも、狭い室内でも、ひとりで充分稽古できる。刀が三尺三寸の長さでなくても、相手がいなくても、充分に己の心身へ向き合える。

最後に稽古が、万人へ開かれていることだ。

残念ながら、弘前藩の林崎新夢想流居合の各宗家達は、近代以降の社会変動のなかで失われてしまった。

しかし、彼らが残した無形の伝承、種子だけは、津軽のそこかしこに息づいている。

いまそれらを集めて活かさねば、永遠に失われてしまうことだろう。

その再生、再興のためには、特別な資格や段位もお金も必要ない。

志だけだ。やろうと立ち上がった人がやるしかないのだ。

旧師範家だった私もその責務を感じている。

この居合の極意は「心鏡明鑑無礙」である。

競技ではなく、日々を生きること、混迷の現代を乗り越えていくことにも通じる心身だ。

その手がかりは津軽だけではなく、全国各地の同系統の各流儀にも残されている。

それぞれが与えらた自らの足元から始め、ゆるやかに連携しながら、その境地を探求していきたい。

皆様のご参加をお待ちしております。

(武術研究稽古会 修武堂 主宰・卜傳流剣術継承者 小山隆秀 おやまたかひで)

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