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林崎新夢想流居合「向身」七本をおさらい。
打太刀に向かって歩いていき、何も考えずにフッと扶据(ふきょ)に座った瞬間が、実は、身体各部が無理なく自然につながった開き、最も動けそうな感じになる。
まるで、空中から落として、自然に展開してカタチをなすパラシュートのように。
だが、迷い多き私自身がそのままでいられない。
よけいな心のさざ波がすぐに身体の濁り、居着きとなって動けなくなっていく。
どうしたものか。
これは日々の生活のなかでの、拙い己の在り様にも似ている気がした。
さて、人為的に設計した特別な空間内で生まれた技法であれば、それと同じ特別な場や装置を用意しなくては発揮することができない。全く異なる場へ越境していくことは難しい。
しかし、暮らしのなかから生まれた技法であれば、その稽古は時と場所を選ばない。日々のくらしのなか、いつでも工夫できる。その心身は様々な場へも適用していける。
武とはもともと後者のような存在だったはずだ。
一方で、常の心身の動きはそれだけで豊かで強靭だが、個人の経験だけでは、どうしても乗り越えられない状況がでてくる。
それを越えていくための課題が形だ。課題解決を通じて、己の先入観を解除し、新しい智慧を拓いていくヒントを見出していく。