「現代の古流剣術師範のなかで、現代剣道と地稽古(自由打ち合い稽古)をして、充分に通用する師範はいない」と、ある有名武道師範の著書にあった。

確かにそのような傾向もあろう。だが断定はできない。

卑近な例で我が家のことを。

代々、旧藩の剣術師範だった我が家では、4,5代前の幕末に撃剣(竹刀稽古)を導入した。

それは幕末の文久2(1862)年に、弘前藩主が全流派に強制した、幕府講武所の一刀流式竹刀稽古の導入令だった。

やがて撃剣は、明治・大正期に、その形式が全国統一されて剣道となった。

四代前の先祖や祖父、父は、撃剣や近代剣道について、家伝剣術の実力を試し、提示する場だと考え、積極的に参加した。その意気を尊敬している。

祖父も父も、全く中央有名師範とのコネクションはなく、地元弘前で愚直に稽古した。

365日毎朝、剣道稽古に励み、国体などの各種大会にも出場、入賞し、それぞれ範士七段、教士八段まで取得し地域の指導者となった。

だが、その土台はやはり、代々の家伝剣術であるためか、地稽古や試合ではときおり、全国式の「正しい基本」とは少々異なる、珍しい技が出たらしい。

祖父の高弟から聞いた話だ。

ある大会で、東京高師出身で範士八段の剣道専門家と対戦した祖父は、得意の上段からの片手面を左右繰り出した。実はこのような遣い方は家伝剣術伝書にも記されている。お相手は一方的に打たれたまま棒立ち状態だったという。

父は若き頃、国体で個人優勝したことがある。いまでも中央の高名な範士八段の先生が集まる京都大会等で活躍してくることが多いが、ときおりお相手から「何流ですか、切り落としが御流儀の技ではないですか」という質問をいただくことがあるという。

このように我が家は、先祖代々古流剣術だが、近代以降、剣道のなかでその技術を活かしてきた家筋である。

同様の家系はおそらく当家だけではなく、日本各地にたくさんあり、現実にそれを活かして活躍された方は案外多かったのではないか。

よって「古流剣術師範のなかで、現代剣道と試合して通用する人はいない」という言い方は、少し早合点であり、再考が必要ではないだろうか。

しかし一方で、各人の剣風から個性が失われている現状もある。

私が小学生だった昭和50年代までの剣道テキストには、連盟の会長自らが「一定の基本を示すが、これは剣道唯一の正解ではなく、いろんな個性があってしかるべきだ」という意味の記述をしている。

だが現代はそれが失われて、全国で剣風の統一化、平準化が加速している。それは現代スポーツ競技の動向と重なるものだ。

よって古流を剣道に活かしている人は、活かせる場はどんどんなくなっている可能性が高い。

実際に、すでに昭和期の剣道専門の先生方(故人)のなかには、我が家の剣風を異端視し、排除したいと考えた方も一部いたようで、祖父や父も嫌な思いもしたようだ。

また、古流師範のなかには、竹刀稽古を全くやられない方もいるようだ。

天才ならばそれでいいが、鈍才な私は違う。

5才から祖父と父に剣術と剣道を仕込まれた私にとって、竹刀稽古、自由打ち合い稽古の経験は重要であり、いまも稽古している。

しかし現在の私は、できれば、一定の様式が定められた竹刀剣道式の地稽古ではなく、それ以前の古流もともとの姿の地稽古や自由稽古、つまり、いろんな状況や異種武器にも対応できるようになるための地稽古を復活させてみたい。

そのために、修武堂各位の協力を得ながら、全身どこを思い切り打突してもケガしないような袋竹刀、動きやすい防具の工夫等を行っているが、

一番大事なのはやはり、動きのベース、すなわち古流の基本である家伝形を見つめ直すことから始めるしかないのではないか。

そのなかから、単なるゲームではない、刀剣の特性を活かしたうえでの、どのような自由な動きが育ってくるのか、楽しみである。