古剣稽古日誌

古剣稽古日誌

様々な意見を受容し、強制することなく、いかに新しい合意と知見を生み出していくのか。

という、非常に面白いファシリテーションのワークを学んだ。

「正解」のない会議の結論は出るのか。不安でたまらない参加者もおり、講師から「みなさん、「正解を出そうとすること」に居着いている」と指摘されていた。

わたしも「居着いている」と苦笑した。

混迷を拓くイノベーションは、既知の「正解」からではなく、見知らぬところから出現するという。

それでも私たちは不安だから「正解」を握りしめ離せなくなる。

武道の世界もそうだ。

会うたび「なんの稽古をしているのか」「どこに所属しているのか」としきりに尋ねてこられる方がいる。

ある方は、稽古で発生する様々な現象を、すべて上意下達の「正解」へ結び付けて納得したがる。

いずれも「型」、「正解」に居着いている。

めまぐるしい変化を生きのびるには、固定観念が命取りになることは武が教える基本である。

そのことは、ふだんの稽古で体感しているはずなのに。

いまから130年前の転換期、廃藩で武士ではなくなった私の先祖達は、様々な異なる立場や生業の人々が交流するなかから、新時代を切り拓く新しい知見と人材を生み出すために、町道場を開いた。

武士とは、ひたすら上官の命令に従う近代軍人とは少々異なる。

天や、己の内なる規矩に従って振る舞うからこそ「士」とされたのだろう。

その文化を引き継いだのが武術・武道であったと思うのだが…。

近代以降は、「正解」がひとつとなり、ひたすら遵守することが大命題となり、異なるものは排除するような傾向も出てきた。

社会もそのような様相を帯び始めている気がしてならない。

第二次世界大戦後、自由を謳う国として成長しながら、多様な意見から新しい知見を発見していく講座が流行りながら、

いつの間にか現実の社会は、真逆の様相を帯びている。

わたしたちは己の衣食の好悪は主張するが、上意下達には従順になるよう躾けられはじめている。

ことに不思議なのが、上の意向にそぐわない者やはみ出す者がいないか監視し、あらんかぎりの攻撃をする金棒引きまで生まれていることだ。「仮面ライダー」のショッカー戦闘員…。

大きなものはますます強大となり、その暴走を止められなくなっている。

十年前の授業を思い出す。

当時の私は、校内暴力で荒れている学校の教員だった。

ある日突然、やんちゃすぎる生徒が多い、学級崩壊状態のクラスの補欠授業を頼まれた。

初めて行くクラス。全く準備もない。

当時、流行っていた映画「スターウォーズ」の話をきっかけとして

「シスの暗黒卿」のような独裁政権は、実は真逆の世界と思われている、わたしたちの民主主義から生まれることがある。未来は君たちに託されている…。

ということを湧き上がるまま、熱弁をふるうという、お粗末な授業だった。

すると不思議なことに、いつも歩き回って騒ぐはずの生徒達は、そのときだけは熱心に聴いてくれた。

あの生徒たちも今ごろは、立派になって、この実社会に出ているはずだ。

まさか、その社会が、似たような状態を迎えるとは夢にも思わなかった。

これから到来するだろう大きな社会変動のなか、私たちは命令や他人まかせにせず、自ら考えることがいかに重要であったか、苦悩のなかから痛感する学びがやってくるのか。

しかし、この一週間ですべてが決められてしまうほど、人の世は単純ではない。

まだまだ、多様なわたしたちが、そこかしこで無数に生きて暮らしているのだから、未来は誰にもわからない。

与えられる「正解」に居着かされず、本質とは何か、小さな私にでもできることから少しずつ…。

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